動的平衡

二度寝して、はっと気がつくともう11時。自分が意識していないのに、実は疲れているらしいと気がつくことが多くなった。
年末に盗まれた自転車を買いに行った。大体、年末調整で返ってきた金額が回遊していった。なかなか悲しいものがある。
しかしながら、人生は所詮そういう反復運動ではなかろうか。消費して吸収する。吸収して消費する。
福岡伸一が面白いことを言っている。あるとき、動的平衡のサイクルがエントロピーに追い越される。すると、そこが死なのだそうだ。生きているあいだは、人間の身体は、外から得たものをたんぱく質に作り変え、もともとのたんぱく質を捨てる。エントロピーが身体を壊すより速くそれを行っているから死なない。しかし、いつかは追い越される。
おとといの話の続きだけれど、宗教とはつまり、生きているうちから、死を手に入れようとする試みかもしれない。
仏教では、生死一如という。死と生が等価だとすると、罪とは何かはなかなかややこしいことになる。煩悩即菩提ということばもある。煩悩そのものを罪とは考えていなかったろうと思うのだ。性の快楽が罪だなんて、仏にしては、狭い料簡じゃないかと思う。