『接吻』

knockeye2008-03-29

負けた者がみな貰う―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

負けた者がみな貰う―グレアム・グリーン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

阪急電車

阪急電車

電車の中で本を閉じても手持ち無沙汰にならない季節だ。車窓を春爛漫の景色が流れていく。
桜は、山から里に下りて来た花だが、きっとそれは、人が猿から人になるとき、一緒に森から出てきたのではないか。手に桜の花を持った猿だけが、二足歩行になったのである。
「さくら」と「さけ」は語源が同じだと、柳田国男か誰かが言っていた。
もっというと、「咲く」も「幸」も同じ語源だそうだ。桜咲く下で酒を呑み、幸を寿ぐのが日本人である。
ブルーシートで場所取りしている、谷中の墓地の桜並木を、怪訝な顔をした外国人が通り過ぎた。
久しぶりに土曜日が休みなので、いつかのリベンジ、根津のSCAI the BATH HOUSEに横尾忠則の絵を見に出かけた。場所が分かりづらい上に、日曜祝日は休みなのだ。おまけに、開場は正午からだったので、上野谷中の花の便り、少しだけ寄り道した。今日はまた、DP−1デビューの日でもあったので。
SCAI the BATH HOUSEは、近くまで来れば分かりやすい。風呂屋の煙突が目印になる。商売気がないはずである。ただなのだ。展示数も少なかったが、そこはそれ。横尾忠則であるから、インパクトが違う。気がついたのは、当たり前のことかもしれないけれど、横尾忠則の展覧会は、いつ行っても新作である。汲めど尽きせぬイメージの泉があるのだろう。Y字路シリーズの持っていない絵葉書があったので買った。
根津神社の桜を見て、少し遅めのお昼をとって、『転々』にでてきた「愛玉子」の店を見つけたりしても、まだ、いつもの朝くらいな時間である。渋谷で映画を観ることにした。
『接吻』
登場人物は、事実上、小池栄子、豊川悦史、仲村トオルの三人。そういうことをいうと篠田三郎の渋い演技に悪いか。
ちゃんと自分のスタイルを持った監督の作品で、世界観に破綻がない。獄中婚という、常人の理解が及ばない行為を、類型的にならずに描くのは難しいはずだが、それを越えて、リアリティーと、個性をも感じさせる。
たとえば、小池栄子が演じる主人公が手紙を書くとき、左利きでペンの握り方が少しおかしいのは、演出なのか、それとも地なのか、みたいなことまで引っかかってしまう。あれが演出だとすれば、脱帽モノである。小池栄子は、役にすっぽりはまっていた。
トヨエツはほとんどしゃべらない。演技もさることながら、それを捉えるカメラワークの引き、寄り、アングルに無駄がない。
チラシにある「衝撃の結末」は、ほとんどの観客に観る前から分かっていると思うが、ストーリーの求心力が強いので、分かっていてもやはり衝撃である。本を読んでいて、目が字を追う前にページをめくってしまうことがあるが、あれに近い感じを味わった。
映画の開演まで時間があったので、鍋島松涛公園で花見、兼、DP−1の試し撮りをした。まではよかったが、戻りに道に迷った。ここが方向音痴のすごいところなのだ。さっき出てきたところが分からなくなる。ぎりぎりで駆け込んだけれどもね。ラブホテル街で、わかりにくいっちゃわかりにくいこともある。下の階でやっている『NAKBA』にも興味があったが、またの機会に。