カトリックの作家

カトリックの作家といって思い出すのは、『ブライヅヘッドふたたび』のイーヴリン・ウォーだ。
しかし、吉田健一が訳していなければ、あの本は手にしなかったろう。今度のグレアム・グリーンも、丸谷才一の翻訳だから読んだのである。海外の小説を訳者で選ぶのは、案外、正解かもしれない。
『ブライヅヘッドふたたび』は、発表当時「護教的」だと批判されたと、あとがきに書いてあった。個人的には、後にも先にも出会ったことがない形容詞だから、その原語が、本国イギリスでどのようなニュアンスなのか、まるでわからない。
ナボコフはあの小説のラストが「わざとらしい」と言っていたそうである。
「わざとららしい」という言葉は、多分に感覚的だから、個人の感覚で相当違うだろう。わたしはむしろナボコフのその鋭敏さにびっくりしてしまう。