マチスとボナール

knockeye2008-05-03

川村記念美術館は千葉県の佐倉市にある。私が住んでいる神奈川県綾瀬市から遠望すると、東京という鋭鋒を越していかなければならないため、なかなか足が向かない。
ヴラマンクを見たせいもある。マチスとボナールという企画に惹かれて、特に、ボナールはなかなかまとめてみる機会がなさそうなので、妙に早起きして出かけた。
ルートを記しておくと、まず小田急で新宿に出る。山手線で日暮里まで行く。さらに京成で佐倉までいけば、駅前から美術館の送迎バスが利用できる。
たしか村上隆は、ボナールが大好きだと言っていた。村上隆の発言を聞いていると、絵画マーケットの成功者と目されているにもかかわらず、よい作品を残しているのに評価が低い作家に肩入れが目立つ。ピカソは嫌いだそうだ。
ボナールの「蝶のやわらかな羽で2000年の若い画家たちの前に舞い降りたい」という言葉が紹介されていた。
そんなことを言うほど、同時代のボナールの評価は低かっただろうか。評価が不当であるとき、それに対して作家のできることは何もない。評価には実体がない。
ボナールの没年、雑誌『カイエ・ダール』に、ボナールの偉大さに疑義を投げかける記事が掲載された、そのページに、マティスは「私は、ピエール・ボナールが、現在も、もちろん将来も、偉大な画家であることを保証する」と書き込んでいる。
その書き込まれたページの写真が図録に収められている。こういう雑誌の一ページまで、調べ上げる研究者の情熱にも驚かされるが、雑誌の殴り書きだからこそ伝わってくるものがある。
いずれにせよ、絵が実証してくれる。21世紀の今でも、蝶の羽を持って舞い降りてきたじゃないか。
今回の展覧会には、ボナールの絶筆である<花咲くアーモンドの木>が展示されている。
もはや、そうとうに体力を失っていたのだろう。甥のシャルル・テラスに絵の修正を手伝ってくれるよう頼んだ。シャルル・テラスは記している。

「左の方の地面の一部にある緑が間違っている。必要なのは黄色だ・・・・。」ボナールは一片の地面を黄色に、つまり金色に塗るのに手を貸してくれと私に頼んだ。そして、数日後、彼は死んだ。

以前、神戸で見た<日除けのある室内>というマティスの絵が今回も展示されていた。この絵を始めてみたとき、床を矩形に切り取る夏の日差しが私に見えた。マティスの色使いはマジックだと思った。
あいにくの風雨なので、庭の躑躅を巡るのはやめた。そのうえ、図録を買うと、財布に1000円札一枚しかないことに気がついた。美術館のレストランは高いので、これではランチもとれない。無料の送迎バスで駅前に戻って、コンビニのATMでいくらか引き出した。
天気予報と違ってちょっと肌寒くさえあったので、温まりそうな和食にした。食事の間も、細かな雨があがっては、また降ったりする。時刻も中途半端なので、帰ることにして京成に乗ったのだけれど、ウルビーノのヴィーナスの中吊り広告を見て気が変わった。日暮里の次が上野なんだから、ついでによってもいい。
ただ、ひとつ勘違いしたのは、土曜日だったこと。午後8時まで延長するのは、金曜日だけだそうだ。金曜日延長なら、土曜日も延長しそうなものだけれど、そうではない。しかし、ついでだからいいのだ。一時間もあれば充分だ。
ルネッサンスの古典に取材した絵画は、要するに裸婦を描きたかったのだと見切った。それまであまりにも長く教会に抑圧されつづけていた反動。だから、ルネサンス以降、ヴィーナスというのは、いい女と同義語だと思ってよいのだ。
上野からだと根津駅まで歩けば帰りが便利。もちろん、そのときにはもう晴れていたので、そんな気分になったのである。
根津神社つつじ祭りだったから、ヴィーナスよりそちらを見るべきだったかもしれない。