アフタースクール

アフタースクール』を観てきた。
週刊文春に、内田けんじ監督のちいさなインタビューが載っている。
「僕はハリウッド映画が好きですが、同じ面白さを日本で求めるなら工夫が必要です。脚本は何回書き直しても無料ですから、脚本にアイデアを尽くすのも一つの手かなと思うんです」
ものの言い方がただものではない。
観終わって、近くの食べ物屋で食事を待ちつつ、いつものように手持ちの本を読み始めたが、映画のディテールがあれやこれやと思い返されて、結局本は閉じてしまった。
たとえば、こういうシーン。
常盤貴子が出産する。両手を取り合って喜ぶ男二人に看護婦が聞く。
「おとうさんは・・・?」
観客は、二人が父親ではないことを知っている。
大泉洋が答える。
「××××××」(自粛)
何ということもない台詞だが、後から思い返すと
「!」
なのである。
また、たとえば、大泉洋が夜の教室に入ってくる。そもそも、なぜこのとき学校にいるかだが、それはさておき、生徒の落書きした黒板を消し始める。そこへ佐々木蔵之介が入ってくる。あざやかすぎて気がつかないが、落書きを消し終わるまでに謎解きがおわってしまうのである。

運命じゃない人』の場合、前にも書いたように、あえて欠点を挙げれば、導入部が伏線だけに終始している感じがあったが、『アフタースクール』では最初からテンポがよい。
この映画は、謎が解けてから、もう一度見直してみても、また別の楽しみ方が出来るだろう。最初、気にも留めない「こいつ誰だ」くらいの脇役が、後から意味を持ってくる。映画的なお約束と思ってたシーンが実は・・・。
そんなこんなといろいろ思い返して、本を開いたまま目が全く字を追わなかったのである。
堺雅人の役どころは、つい思い出し笑いしてしまう。最高におかしい。二枚目だからさらにおかしいのだ。
最初の小さな伏線が、しゃれたオチにつながる。こういうディテールの繊細さが笑いには大事で、『転々』三木聡にはこれが欠けている。あれはあれで、持ち味だと思っているのだけれども。
今年見た映画ではダントツ。プロの仕事が観たいなら(つまり、隠居タレントの余興に付き合いたくないなら)この映画はお勧めである。

『接吻』『アフタースクール』と、日本映画が面白い。
『スピードレーサー』につづいて、『攻殻機動隊』までハリウッドで実写化されるそうだが、それは、一面、彼らがアニメより実写の方が格が上だと考えているためである。しかし、どうだろう。ドラえもんを実写化したとして何か面白いだろうか?アニメはイメージとしてインパクトが強い。それをあえて実写化するには、なかなか苦労があるだろう。
アメリカの才能が枯渇しているとは思わないが、ただ、歴史に照らしていえることは、イラク戦争が長引きすぎている。このところ盛んに続編が作られた『スターウォーズ』、『インディージョーンズ』などが産声をあげたのは、ヴェトナム戦争の傷がいえたころだった。
村上龍のテレビ番組「カンブリア宮殿」に村上隆がゲストに来ていたとき、
「いったい、日本の何がそんなにアメリカの人たちに受けてるんでしょう?」
という質問に
「平和じゃないですかね。日本の平和にあこがれているんだと思います」
と答えていたように記憶している。