『物乞う仏陀』が文庫化

『物乞う仏陀』が文庫化された。
格差社会」という言葉はああいう社会に対して使うべきで、日本ではむしろ「悪平等の弊害」の方がまだ大きいと感じている。
格差社会」という言葉が喧伝されるのは、単に「社会保障政策の破綻」から論点をそらそうという役人の狙いだと思う。
たとえば、高校野球でエラーした選手がいじめられているとする。
その場合、原因は野球の試合に勝ち負けがあることだから、勝ち負けのないルールに変更しようというのが「格差社会をなくそう」という考え方。
試合に負けたとしても、その健闘は讃えるべきで、負けた側にも再チャレンジできるチャンスを与えようというのが「社会保障を充実させよう」という考え方。
格差が全くない社会は存在しない。全員が当たる宝くじは、300円でくじを買って、300円が当たるだけである。そんなものは、存在したとしても誰も買わない。問題は、敗者に対するセーフティーネットだと思うが違うだろうか。
フェアプレーで戦った後に、ノーサイド精神が発揮されるかどうかが問題だ。本来そのために存在するはずの社会保障政策を破綻させてしまったのは誰なのか。
消えた年金は、まだ、消えたままだろう?
独り歩きしている言葉は疑ってかかった方が無難だと思う。大概、マスコミと官僚の世論操作なのだ。