縋りつく

knockeye2008-07-15

週刊アスキーは、多分、前世紀から購読している。
以前はコンビニで買っていたが、今はFujisan.co.jpで配達してもらっている。
よく考えると、このあたりだとコンビニで買うほうが早く手に入るが、買いそびれる心配はなくなった。ただ、買いそびれる確率と、配達ミスの確率、どちらが高いか微妙ではある。
この雑誌に、ほぼ一度も読み通したことのない、山崎浩一の「今週のデジコト」という連載がある。なんか文章の感じが肌に合わないのだと思う。オチが弱いのかなぁ。
しかし、今週は、でだしが面白かった。ちょっと引用してみる。

「このぶんだとプロレタリア文学の復興も夢ではない」
これは2年前、某新聞に私が書いたコラムの一節。テーマは格差社会ブーム。読者には冗談が通じなかったのかどうかは知らないが、本当に小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーになってしまった。

日本が格差社会であるわけがない。と、私は思っているが、問題は、日本が格差社会かどうか、にはなくて、日本は格差社会か否かに論点をずらそうとしている、世論操作の動きだ。
格差がない社会なんてどこにもない。だからこそ、弱者をケアするために政治があるはずで、日本の場合は、国民皆年金制度がそのために機能していた。
それを根底から破壊したのは、誰なのか?そこから目をそらせることが「格差社会キャンペーン」の目的であることは、ほぼ間違いないと思われる。それに、ホリエモンみたいな新興勢力に、今までの官財癒着構造をかき回されるのも迷惑だろう。そもそも、小泉改革以前の日本に格差がなかったのか?
とまあ、ここまでは、私がいつも思っていることなのだけれど、山崎浩一のコラムが気がつかせてくれたことは、『蟹工船』ベストセラーが示唆しているのは、それがでっちあげだとしても、「格差社会」というお題目にすがりつきたい人たちがいるということ。役人がでっち上げたにすぎない靖国神社に、いまだに縋りつく人たちの姿とオーバーラップしてしまう。