夏休みが始まり、梅雨があけ、しかも三連休、出かけるのに少し気合がいる。
今回も目的地は上野。ということで、何を見に行ったか分かる人は分かるだろう。ちなみに、コローはすでに見た。
上野は後に廻し、先に目黒の東京都庭園美術館に足を運んだ。船越桂の展覧会が開かれている。最近は、リアルな人物像から離れて、両性具有のスフィンクスをテーマに連作している様子。入り口を入るとすぐに「森に浮くスフィンクス」が展示されている。
今回の彫刻も多くはリアリズムを離れているのだけれど、船越桂の人物像に特徴的な斜視だけは共通している。ただひとつ2006年の「戦争を見るスフィンクス?」の眼だけは、どこかを見ているようでもあり、しかも、船越桂の作品には珍しいことに、眉根にしわを寄せ、うっすらと冷笑を浮かべても見える口許には、食いしばった歯が覗いている。
作家はかつてあの斜視について、あれは「内面を見ている目」だと語っていたと思う。
あのスフィンクスは、もう内面を見ていないのか、それとも、よく見ればあのスフィンクスが見ているのもやはり内面で、戦争は彼(あるいは彼女)の内面で荒れ狂っているのかもしれない。
美しいなと思ったのは「山と水の間」。人物の肩に小さな岩山があり、そこから腕に沿ってなだらかに雪が深くなるようだった。
「言葉をつかむ手」は魅力的な裸婦だが、なぜか背中に手がある。影絵の鳩のつばさみたいに背中に着衣の右手がついている。バスルームに展示されていたので、ごめんなさいな気分。扉の向こうには入れないようになっていたのでよけいにそんな気分だった。
東京都庭園美術館は、1930年代にアール・デコ様式で建てられた旧朝香宮邸なので、バスルームといっても、私の部屋などより、はるかに豪奢。ただ、あの裸婦は古アパートの浴室にあっても美しく見えただろう。
2008年、つまり今年、に製作された「わたしの中の緑の湖」の前を通り過ぎるとき、ふと木の香がした。船越桂の彫刻はすべて楠である。
さて、上野。ほんとうは鶯谷で降りた方が近いが、60円をけちって上野公園を横切る。信号を渡ると東京国立博物館。実は、信号待ちの間に、対岸の混雑ぶりが見て取れた。一緒に信号待ちしているおにいちゃんも明らかに同好の士らしく、目が血走っている。今月の8日から来月の17日まで「対決 巨匠たちの日本美術」と銘打って、国宝級ではなく、ほんとの国宝が多数展示されている。
国宝だからどうしたというわけではないが、混雑を見越してもなお惹きつけられたのは、長谷川等伯の「松林図屏風」が展示されているからだ。あの絵一点のためだけにでも混雑をかいくぐる価値がある。
長谷川等伯の出身は、今でいう石川県七尾なので、「松林図屏風」が、七尾の美術館に貸し出し展示されたことがあった。私はそのころ富山に住んでいた。何の予断もなく見に行き、そして打ちのめされた。
今回の展示は「対決」という趣向。等伯の対戦相手は狩野永徳。この二人は戦国時代、実際に絵師としての覇を争った好敵手であり、結果として狩野派が徳川の御用絵師として栄えることになった。ただ、あの「松林図屏風」の前では、狩野永徳のみならず大概の絵は輝きを失う。
あの絵にはどんな絵画的な約束事もいらない。筆と墨と紙、それを前にして画家に出来ることは何か。その答えを突きつけられる気がする。
六曲一双の大画面を一気呵成に書き上げたとしか思えないのに、隅々まで一分の隙もない構成、そこから生まれる空気感。まるで書を思わせる筆のタッチの生々しさと、それと対照的な空間の奥行きと安定感。現にその前に立っていると松籟が聞こえてきそうである。
近づくと墨痕あざやかな書であり、遠ざかるとそこに音楽が見える。ちょっと永徳は敵ではない。応挙の「雪松図」とか、光琳の「紅梅白梅」とかを持ってこないととても勝負にならない。
会場は混雑していたが、絵の迫力にけおされるのか、絵の前に扇状の空間が出来ていた。(あるいは単に等伯の知名度が低いのか?)
あの絵を観るためだけに出かけても損はない。実際、あの絵だけを見たに近い結果だった。
そのほかの収穫は、雪舟の「慧可断臂図」の本物を初めて見た。
若冲は、二十年も前、今ほど人気がなかったころ、京都で随分まとめてみたが、今回展示されている「仙人掌群鶏図」は初見。
会期中展示替えがあるそうで雪舟の「秋冬山水図」、宗達、光琳の「風神雷神図」はまだなかった。
ちなみに、長谷川等伯の「松林図屏風」は7月27日までの展示である。