昭和天皇・マッカーサー会見

昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)

昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)

よい本であればあるほど内容に触れるのがむずかしくなる。
全体が緊密に結びついているので、一部分だけを切り出して、「一口味見をどうぞ」ということが出来にくくなるからだ。

この本の筆者はそもそも第二次大戦の連合国によるイタリア占領の研究者だった。
第二次大戦は、国家体制の違いで陣営を分けていた。そのため、戦後処理としての占領は、法律・行政にとどまらず、国家のあり方そのものの変更にまで踏み込むことになる。だが、その「占領管理」の主体に誰がなるのかに、明確なルールがあったわけではない。一応、枢軸国の中で最初に敗戦したイタリアが前例となるわけだが、ムッソリーニが宮廷クーデターで失脚したイタリア、ベルリンにまで東西陣営が侵攻したドイツ、そして無条件降伏した日本、それぞれに条件が違った。マッカーサーの占領管理者としての正当性は実は危うかった。
マッカーサー昭和天皇の会見は、この本の表紙にも使われている写真のように、昭和天皇の「人間宣言」以上の意味はなかったかのように思いがちだ。しかしそれは、天皇が人間かどうかに、さして興味のない人たちにとっては、もっと重要な意味を持ちえた。昭和天皇マッカーサーの会見は11回、マッカーサーを引き継いだリッジウェイとの会見は7回に及ぶ。
そこで交わされた会話がどのようなもので、また、その後の日本にどのような影響を及ぼしたか、作者は現在入手できる内外の史料を徹底的に検証しつつ明らかにしていく。
やがて浮かび上がってくる昭和天皇の姿には、唖然とさせられるものがある。すくなくとも、戦前戦後、つまり、現人神時代から人間時代を一貫して、これほど生々しい天皇像を描き出した書物が他にあるかどうか私は知らない。
安保条約成立をめぐって、吉田茂白洲次郎ラインと繰り広げられる対立は、「戦後日本外交のイメージを根底からくつがえす」という某氏の表現にふさわしい。
マッカーサー回想記の一節。
「私が米国製のタバコを差し出すと、天皇は礼をいって受け取られた。そのタバコに火をつけて差し上げたとき、私は天皇の手が震えているのに気がついた。」
昭和天皇がタバコを吸わないことを知った上で、マッカーサーがこれを書いたとすれば、老マッカーサーのこれはちょっとした茶目っ気だったかと、少し妄想を膨らませたくなる。
日本人が、意識的か無意識にか避けてきた問題に、公平な態度で取り組んだことに尊敬の念を抱く。
名著。