野分

knockeye2008-09-20

午前3時の台風情報を待ちながら、白菜の漬物など食っているのは乙なものだ。
今夜は、傘を目深に足許だけ見ているうちに、いつの間にかアパートの前の道にたどりついていて、ああだんだん住み慣れてきたんだなぁと思った。
白菜の漬物は、猫のいるコンビニで買った。さすがに台風の夜はどこかに避難しているらしかった。

野分に寄す

野分の夜半こそ愉しけれ。そは懐しく寂しきゆふぐれの
つかれごころに早く寝入りしひとの眠りを、
空しく明くるみづ色の朝につづかせぬため
木々の歓声とすべての窓の性急なる叩もてよび覚ます。

真に独りなるひとは自然の大いなる聯関のうちに
恒に覚めゐむ事を希ふ。窓を透し眸は大海の彼方を待ち望まねど、
わが屋を揺するこの疾風ぞ雲ふき散りし星空の下、
まつ暗き海の面に怒れる浪を上げて来し。

柳は狂ひし女のごとく逆しまにわが毛髪を振りみだし、
摘まざるままに腐りたる葡萄の実はわが眠り目覚むるまへに
ことごとく地に叩きつけられけむ。
篠懸の葉は翼撃たれし鳥に似て次々に黒く縺れて浚はれゆく。

いま如何ならんかの暗き庭隅の菊や薔薇や。されどわれ
汝らを憐まんとはせじ。
物皆の凋落の季節をえらびて咲き出でし
あはれ汝らが矜高かる心には暴風もなどか今さらに悲しからむ。

こころ賑はしきかな。ふとうち見たる室内の
燈にひかる鏡の面にいきいきとわが双の眼燃ゆ。
野分よさらば駆けゆけ。目とむれば草紅葉すとひとは言へど、
野はいま一色に物悲しくも蒼褪めし彼方ぞ。

わたくし長年、この詩集の訓みかたは「夏花(げばな)」だと信じ込んできたのだけれど、どうにも怪しくなってきた。
詩集の題辞にあるオマル・ハイヤームのルバイヤッドの詩の一編
「友ら去りにしこの部屋に、今夏花の
新よそほひや、楽しみてさざめく我等、
われらとて地(つち)の臥所(ふしど)の下びにしづみ
おのが身を臥所とすらめ、誰がために。」
からこのタイトルは取られているのだけれど、私はずっと「今夏花の・・・」を「今宵夏花の・・・」と間違っていたのだ。
「こよひげばなのあらよそほひや」と。
ときどきブログに引用するので、読み返してみたら、「今宵」ではなく「今」だったことに気づいた。「今」なら「いまなつはなの・・・」で字数が合う。でも、「なつはな」なんて、もやっとしてていやだな。これからも「げばな」で通してしまってもいい。少なくとも自分には、詩集全体のインパクトにそのほうがあっている気がする。
行きたい展覧会リストアップ。
秋野不矩
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2008/akino_fuku/index.html
北斎DNAの行方
http://www.itabashiartmuseum.jp/art/schedule/now.html
アネット・メサジュ
http://www.mori.art.museum/contents/annette/index.html
浮世絵 − ベルギーロイヤルコレクション
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/H2009Belgium.html
速水御舟
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2008203.htm
レナール・フジタ
http://www.fujita-ueno.jp/