不連続の世界

不連続の世界

不連続の世界

最近のアメリカ映画について、小林信彦が「こんなにアイデア不足の時期はなかったと思います。」と書いている。
「いずれにせよ、映画のネタがない。だから、子供向きの「××マン」といったシリーズに金をかけて作り直すのが安全、という発想になります。」
ダークナイト」の評判はすごくいい。そそられるが、いまだに観にいっていないのは「でも、バットマンかぁ」という思いがあるからだ。良きにつけ悪きにつけ「バットマン」という古色蒼然としたフォーマットがないと、モノが作れないのかなぁというがっかり感が先立ってしまう。
「アイアンマン」は月イチゴローで「コトイチ(今年一番)じゃないですか」と言っていた。もっとも稲垣吾朗はロボット好きで、以前は「トランスフォーマー」も推していたし、アイアンマンのあのスーツは「欲しい」そうなのだ。
バットマンもアイアンマンも、世界に冠たる米国軍需産業が生み出した「兵器」である点が共通している。両者ともアーマーなのである。
スーパーマンのあのタイツはどう考えてもアーマーではない。こうした非アーマー系のヒーローは「ハンコック」とか「アンブレイカブル」のように哲学の見直しを必要とされている。
中村うさぎは、閉経後も延々整形手術を繰り返し、擬似・奥菜恵というべきルックスの維持に躍起になっている女だが、彼女が中学生くらいだったころ

どうして彼らが『仮面ライダー』なんかに憧れるのか、まったくもって理解できなかった。だって、あれ、虫じゃん!
(略)
いざ人類だの国家だの正義だのといったもののために戦う時にはあえて人間らしい容姿や感情を捨てて「無表情・無機質」なヒーローになりたいのだろうか?
(略)
「戦って勝つ」ことを義務付けられ、そのために「人間性を捨てよ」と諭されているのも同然ではないか。

そして、こう結んでいる。

「少女向けのアニメや漫画は、ヒロインに必ず「美しさ」が求められ、それゆえに女たちは己れの容姿の美醜問題に囚われ続ける。それが「女の地獄」なのであるが、男の「人間性を捨てても勝たねばならぬ地獄」のほうがはるかに救いがない。秋葉原通り魔事件の容疑者は、あまりに負け続けたために、ついに人間であることを捨てて「無機質な兵器」になったのだろうか。

「ロボット願望」という言葉は、現に心理学のほうに存在する。
ある時、用を足すと同時に内臓が全部出てしまったらどうしようという不安に捉われて、大便ができなくなった男の子がいた。だが、片手に真空管を握ってトイレに入ることで用を足せるようになったそうだ。「内臓不安」という。男に多いそうだ。
「だから、男の子はバイクやカメラをいじるのが好きでしょ」と言われて、赤瀬川源平がドキッとしたという話は、以前書いた。
男は機械のカラダが欲しい。「銀河鉄道999」の鉄郎はそれを手に入れるために旅立つわけだが、それ以外にもアニメや漫画のネタからそれを選び出すのに苦労はしないはずである。というより、実際には機械そのものが男が描いた幻想の肉体そのものなのかもしれない。
夜勤明けの土曜日、どこかに出かけてしまうと、日曜日は寝坊してしまう。この法則は朽ちかけた私の肉体の原則になりつつある。
今日も朝早く起きたのだけれど、昨日読みかけた本をめくっているうちに眠ってしまった。
明確な計画がある日は出かけるのだけれど、上野という選択肢があった。フェルメールハンマースホイをはしごして、ついでに狩野芳崖を覗いてみるというコース。狩野芳崖の悲母観音は芳崖の代表作のようになっているが、私はそうは思わない。むしろ逆だと思っている。芳崖にはもっといい絵がいっぱいある。むしろ、あの絵のために損をしているような気がする。
第二候補としては映画コース。「トーキョウソナタ」とか、「東南角部屋二階の女」、「落下の王国」。ルー・リードの「ベルリン」も渋谷のレイトショーだが観られないこともない。JUNYAさんがベルリンにいるころも、頭の中に描いていたイメージは、イギー・ポップやディビッド・ボウイのベルリンだった。それに「ウォンティッド」で、アンジェリーナ・ジョリーの完璧な肉体に魅了されてもいい。(さっきまでの話のついでに思いついたのだけれど、女装願望もロボット願望も男にとっては同じことなのかもしれない。男の肉体は染色体が一つ欠けている女の出来損ないなのだから)
選択肢が多いと行動は逆に鈍る。それで今日はおとなしく読書ですごした。
恩田陸は初めてなのだけれどとても面白かった。認識についての知的ゲーム。しかし、それだけではない。主人公の多聞という男に奇妙にリアリティーがある。さっそく他の著作も何冊か注文した。
夕方、ライト・オンにコーデュロイのパンツを買いに出た。そのついでに本屋に寄ったのは、ネットで品切れになっている本がもしかして置いていないかと思ったからだが、残念ながらなかった。
現実の本屋は久しぶりだ。注文した恩田陸の本は二冊ともあった。本屋に出向いて本を買うという発想が、いつの間にかなくなってしまっている。
現実の本屋もネットの本屋も本棚の景色にそう違いはないが、現実の本屋には美輪明宏 の本がずらりと並んでいて思わず苦笑してしまった。