横浜トリエンナーレ

knockeye2008-10-12

今年の横浜トリエンナーレの会場の一つになっている三渓園は、神奈川に越してきたときから、いつかは訪ねたいと考えていた。
中谷芙二子の「雨月物語」は、滝から川に沿って流れ出している人工的な霧が作品なのである。朝の九時から一時間以上もそこにいたが、もっといてもよかった。


それと対照的なのは、その隣りの二つの作品。ちょっと「現代芸術ってたぶんこんなものだろうな」と思い浮かべてもらえるだろうか。だいたい、今あなたが想像したものが展開されていると思ってもらいたい。
「芸術ってなんだろう」とか考えさせられたりはしない。「はいはい、現代芸術ね」という感じ。
もちろん,戦果をあげるためには、ときには最前線の無益な戦いも必要なのかもしれない。しかし、ここが最前線とはいえそうもない。
井上雅彦の「バガボンド」が上野の美術館で展示されたとき、カミーユ・コローをはるかに凌ぐ長蛇の列ができていたことは前に書いた。日本のマンガ、ファッション、さらにはゲームも、世界を席巻しつつあるらしい。その意味では、芸術の最先端はどちらかといえばそちらにあるのだといえそうだ。山田芳祐が古田織部を主人公にした「へうげもの」というマンガを描いている。千利休は「お茶」を芸術にしたのである。あの飲む「お茶」。
マンガを芸術と呼んでも、今は誰も異議を唱えないはずだが、マンガ、映画、写真、ファッション、登場したときには芸術と思った人はいなかったはずだ。
ましてや、千利休の場合は「お茶」。あの飲む「お茶」。アバンギャルドにもほどがある。
いかにもアバンギャルドみたいなパフォーマンスには、むしろ古めかしい感じさえした。現に、横浜の会場には、60年代にオノ・ヨーコが行なった、いまや古典といえるパフォーマンスの様子が上映されていた。
今回の展示にはビデオ作品が多かった気がする。パフォーマンスを記録して上映するという行為がすでにいかがなものか。テレビに何か映すからには、少なくとも地上波の番組よりは面白くしてもらいたい。そうでないとチャンネルを代えちゃう。
比較的刺激的だったのは(今の時代「エログロ」は少しも刺激的ではない)、日本郵船海岸通倉庫の展示に多かった。