ハンマースホイ、琳派、アネット・メサジュ、ピカソ

knockeye2008-10-26

美術展をはしご。
まず上野の国立西洋美術館で、ヴィルヘルム・ハンマースホイ展。
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1907年にロンドンで個展があったとき、『アマチュア・フォトグラファー』という雑誌に
「私たちは読者の皆様に、画家の作品を学ぶようになどという押しつけはほとんどしたことがないのですが、こと、ハンマースホイの絵画に関しては、読者の皆様にぜひ勉強してもらいたいと思うのです。(略)彼の絵は、自分の写真をよりよくしたいと熱く思わせてくれるからです。」
という展覧会評が書かれたそうだ。
そういわれて考えてみると、写真は象徴派絵画の一派なのかもしれない。
ハンマースホイ自身も写真から学ぶことは多かったと思うのは、たとえば、デューアヘーウェン自然公園を描いた逆光の雑木林。黒くつぶれた暗部ときらめく縁取りは、肉眼で見たときああいう風に見えるかどうか疑わしい。
しかしなんといっても、この画家の名声を後世に伝えたのは、倦まず弛まず描き続けられたストランゲーゼ30番地の室内を描いた作品の数々だろう。
極端に家具の少ない部屋に移ろい行く窓の影。静謐という価値観は私たちにはむしろなじみの深いものだと思う。
次に国立博物館で大琳派展。


ほんとは東京都美術館フェルメールというのが北欧つながりで正しいのだけれど、こちらは大行列だったので次の機会にまわすことにした。フェルメールはいつからこんなに人気になったんだろうか。何かきっかけがあったと思うのだけれど思い出せない。
琳派展の目玉は風神雷神図の揃い踏み。この企画は、しかし、ありがちではある。以前にも宗達光琳、抱一の三作品をあわせて展示したことがあった。今回はそれに加えて鈴木其一の襖絵まであるのが新しいところ。ただ、宗達のオリジナルは来週からの展示だそうだった。
以前、加藤周一宗達風神雷神図を批判していたことがあった。雷神の腕が美しくないというのだが、多分宗達がそれを聞けば、「だって雷神ですから」というだろう。
光琳、抱一、其一と並べて見ると、時代を下るごとにどんどんコミカルになっていく気がする。生々しさがなくなるというか、迫力がなくなるというか。風神雷神の存在が記号化していってしまったためなのだろうか。
宗達の、扇面の構図もどんどん崩れて、其一になると背景の書き込みがかなりのウエイトを占める。
宗達光琳のちがいで、素人目にもはっきり分かるのは、雷神の視線。宗達の雷神は下界を見下ろしているのに対して、光琳の雷神は風神を見ている。
宗達のオリジナルでは、風神雷神の頭の高さが水平で、雷神のベクトルが画面の中央下方向にに向かっているために、四角い屏風に見えない逆三角形の構図ができあがっている。それが絵にダイナミズムを与える。雷神の目が風神を見てしまっては、そのダイナミズムが損なわれてしまうのだ。
抱一は宗達のオリジナルを知らず、光琳のものをオリジナルだと思っていたらしい。抱一は彼の風神雷神よりむしろ、光琳風神雷神図屏風の裏に描いた夏秋草図屏風である。光琳風神雷神に対する抱一の返歌であって、これこそ抱一にふさわしい。今回はこの展示もなされているのが嬉しい。
私は今まで器には何のテイストも持ち合わせていなかったのだけれど、本阿弥光悦の黒楽茶碗「雨雲」と赤楽茶碗「峯雲」には感銘を受けた。骨董の好きな人には「あったりまえだろ」と突っ込まれてしまうかもしれない。
上野のマックでお昼を済まして、午後からは日比谷線で六本木。ヒルズ族の巣窟、六本木ヒルズ森美術館で「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」

今道子というカメラマンがいるが、わたしが連想したのは彼女の作品。非常に女性的に感じられる。衣服の芸術家だと思えた。脱ぎ捨てられた衣服。
ポスターにも使われている<残りもの(家族II)>という作品では、ライオン、ゾウなどのぬいぐるみのガワの部分が解体されて、一部分は結ばれ、一部分は別々に壁に毛糸で吊るされている。そしてそれが全体としてはドーム型になっている。
また<寄宿者たちー休息>という作品は、無数の雀の剥製に毛編みのセーターが着せられている。
衣服は私たちの身近な表現であるが、と同時に、それ以上に私たちの存在にきっと深く食い込んでいるのだろう。男にとって裸になることはなんでもないことだが、女にとってはそれは男よりもっと大きな意味を持っている。その意味で衣服に対する感性は、男性より女性が鋭いだろうし、その感性を女性的と感じるのはそういう意識のなせるところだろう。しかし、ミニマリストという意味ではなく、スケールの大きな作品にもいいのがある。<カジノ>という作品は、2005年のヴェネチア・ビエンナーレで金の獅子賞を獲ている。
この森美術館の入場券が、六本木ヒルズのスカイデッキと東京シティービューのチケットと抱き合わせだった。スカイデッキの方は並んでいたし、曇っているし、寒そうだったので、パスしたのだけれど、シティビューをチラッと見ると東京タワーが見えたので、ついふらふらと入ってしまった。小一のときに訪ねたことがあると思うが、今では眼下に見下ろせる。ちょっと感慨深いし、ちょっとばかばかしい気もする。東京の街にももう少し緑がほしいものだと上から見るとそう思う。
六本木ヒルズから六本木の駅をはさんだ向こう側の東京ミッドタウンサントリー美術館がある。
サントリー美術館には来たことがあったんじゃないかと頭の片隅で考えていたが、どうもそれは大阪のサントリーミュージアムのようだった。
ピカソ展が開かれている。

ふだん日曜日は18:00で閉館するそうだが、ピカソ展開催の期間中は毎日20:00まで開館しているそうだ。
ピカソの見かたについては、池田満寿夫の「私のピカソ、私のゴッホ」で目を開かれたところがある。キュービズム云々の技術的なことではなかったのである。
私たちが絵を描くとき、対象を紙に写しているようだが、実際には、その対象を描いた誰かの絵を模倣しているだけのことが多い。子供たちが人物画を描くと必ずマンガになる。
子供のころから、見たものを見たままに描くことに何の苦労もしなかったピカソにとっては、世界が見たままのものであるはずがなかった。むしろ、見たものを見たままに描くことこそ偽りだったのである。
西洋絵画が日本画に出合ってショックを受けたのは、異なる伝統で進化すると絵はまるで別の表現になるということだったと思う。
ピカソもそれと同じ刺激をアフリカの彫刻から受けたのだろう。
キュービズムの時代は、ものを見る目の解体作業だったのだろうと思う。
今回の展覧会は、ピカソが最期まで手許においていた作品ということもあり、時代はばらばらでも統一感が感じられた。気のせいかもしれないけど。
東京の地理に疎いのはあいかわらずで、六本木ヒルズのシティビューからすぐそこに新国立美術館の特徴的な建物が見えて、はじめてサントリー美術館新国立美術館ピカソ展を共同開催している意味が分かった。しかし、さすがに国立の方は、役人が残業を嫌がるので、20:00までというわけにはいかない。あとから考えると、まず新国立美術館にいって、そのあと森美術館サントリー美術館と回ればよかった。帰りは乃木坂から千代田線と小田急を乗り継いで帰った。けっこう疲れた。