テロとの戦い

テロとの戦い」という言葉がある。ジョージ・W・ブッシュの発明品だと思うが、ここに嘘の匂いがかげない人がいるだろうか。
テロの側でも自分たちの行為を「戦い」と定義しているに決まっている。向こうは向こうで「そっちこそテロリストだ」と言うだろう。
だから、「テロとの戦い」という言葉は、「戦いとの戦い」、あるいは、「テロに対するテロ」という意味でしかない。つまり、報復合戦、泥仕合にすぎない。少なくとも、行為を正当化する理念になり得ない。
よくも「テロとの戦いに邁進する」とか口に出せるものだ。「泥仕合に首までつかります」と宣言しているようなものだと思う。
ブッシュが元の大統領のバカ息子に戻ろうとしている今頃になって、なぜこんなことを蒸し返しているかといえば、例の「年金テロ」の犯人がつかまったからだ。
事件発生の翌朝の新聞にはすでに「年金テロ」という言葉が使用されていたと思うが違うだろうか。事件の背景も何も分からないうちに、テロだと断定する態度には疑問を感じた。あの時点ではまだ連続殺人であるかどうかさえ確定できなかったはずだ。
報道の現状が垣間見える気がした。背景について何一つ分からない犯罪をテロと決め付けることで、彼らは「テロとの戦い」をやり始めたわけだった。
ブッシュがはじめた「テロとの戦い」は、テロそのものをはるかに超える数のアメリカ人を殺した。「テロとの戦い」こそが、テロにとってもっとも好ましい効果であることを私たちはまざまざと見たはずだと思うのだけれど。
それでも「テロとの戦い」を始めてしまう理由は、事件の背景を探るより、(痛い腹を探られるよりといおうか)報復合戦に打って出たほうが自分たちの痛手が少ないとの判断によるだろう。津島雄二厚生大臣の発言はそういう心理を裏付けている。
マスコミが勝手に年金テロと名付けた今度の事件だが、わたしら一般市民には他の殺人事件と特に違いもない。
元上司が殺されて、免罪符でも手に入れたようなつもりになっているのだから、役人根性はあさましいものである。