平等な社会に吸い付いた役人というヒル

一人暮らしのつれづれ、ブログなどを書いていると,これを誰かが読んでいるかもとか、いつの間にか忘れてしまっている。
それでたまにコメントがあったりすると、うれしかったり恥ずかしかったり。
いずれにせよ、自分の文章のいい加減さにあらためてあ然としてしまうが、しかしながら、これからもこのいい加減さを続けていくことになるだろう。これはこれでよしとしている。自分のために書いているだけだからね。バカをさらすのはしかたないことだ。
昨日自分で書いていて気がついたのだけれど、日本の町はどこにいっても特色がない。少なくとも、特色は失われていく方向だと思う。
その原因は、町をデザインする権限がそこに暮らしている住民になく、官僚と土建屋が自分たちの私腹を肥やすためにハコモノと道路を造り続けたためである。
その結果として経済が行き詰まり、失われた十年を過ごすことになった。
本来、国民の福祉に供せられるべき財源を、本来、国民に奉仕するはずの役人が自分たちの利益のためだけに、必要のない建物と道路を実際のコストに上乗せして利ざやを稼いでいれば、いつか経済が破綻する。ある意味当然である。
そして現に破綻したのを私たちは目の前で見た。つい数年前だ。
にもかかわらず、身銭を切って(税金を投入したんですよ)不良政権の処理が終ると、もうそのことを忘れてしまって、また役人の言うことにだまされてしまうのはなぜなんだろう。
格差社会」というアドバルーンが意味していることは、
「また前みたいにてめえらの金で旨い汁吸わせてくれよ」
という役人のメッセージに過ぎないじゃないか。
日本のどこが格差社会なの?
格差のない社会は存在しないに決まっている。しかし、日本ほど格差の少ない社会ってそうそうないというのが世界的常識だったでしょう。ゴルバチョフが来日したときに、「日本は最も成功した社会主義国だ」という名言を吐いた。あの時と今とどれほど違うというのか。
むしろこの平等な社会に吸い付いた役人というヒルが、肥大しすぎて限界を超えているのが、現状の最大の問題点だと思う。
っていうか、みんなそう思っていたはずだ。
っていうか、いうまでもなく今でも普通の人たちはそう思っているはずだ。というのは、郵政民営化骨太の方針、等の改革路線をくつがえそうとする麻生政権の隠された意図が明らかになると同時に、内閣支持率が急落したからだ。瞬間冷凍とでもいいたいくらいの零落ぶりである。
この支持率のグラフを見て漢字の勉強をしようとか思ってもらっては困る。
これはやはり1940年体制といわれる過去の最大の負の遺産、日本の官僚体制を抜本的に改革することを国民が望んでいるという意思の表明なのだ。
ウソのようだけどホントなのだ。
小泉政権の人気を支えたのは、揶揄されたような、ポピュリズムとか劇場型民主主義ではなく、(それなら麻生政権にもじゅうぶんに素質があったはず)改革への期待なのである。
この次に政権を担うのが自民党民主党か、それとも共産党創価学会か知らないけれど、このことを見誤れば必ず同じ轍を踏むと心しておくべきであろう。