できそこないの男たち

knockeye2009-01-16

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

 不景気のおかげで平日にも読書がすすむ。
 ベストセラーとなった「生物と無生物の間」の著者による性生殖をめぐる科学史科学史というのは、文章が達者な人に書いてもらうと実に面白い。
 ただ、こういうものをこの「100年に一度」とかいわれる大恐慌のさなかに読むと、膨張して世界を駆け巡ったカネの流れが、卵子めざして放出された精子の流れに思えてくる。彼らの運命については周知であろう。事が終わった後のがっくり感もよく似ている。
 マッチョなアメリカ経済も今度のはちょっと「んっごかった」みたいで、ちょっとは息を整えないといけないらしいのである。
 以前、マリアの処女懐胎について、もし単為生殖が起こった場合でも、男性が生まれることはないらしいと書いたが、やはりSRY遺伝子てふものがないかぎり男性は生まれない。しかし、私に滑稽に思えるのは、どうしてそんなに処女をありがたがるの。私にはむしろ、処女が懐胎したかどうかよりも、その執着の方が興味深い。
 生物にとって、女がデフォルトという言い方はすごく分かりやすい。男という存在はようするに余剰だといわれると、「ごもっともです」とうなづかざるをえない。その余剰が文化ともいえるけれど、余剰は所詮余剰だと踏まえていないと野暮なことになると自戒しておきたい。