悪夢探偵2 蒔絵 雪松図と能面

乱視読者の新冒険

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地下鉄大手町から長い地下道を歩いて、三井記念美術館に行った。三越前で下りれば目の前なのだけれど、その一駅を乗り換えずに歩いてしまうのが田舎ものらしいところ。
三井記念美術館の所蔵品は、隣接する三井信託銀行の金庫をはるかに凌いでいるのではないか。円山応挙の雪松図がここの所蔵だと知った時は驚いた。というのは、ああいうものは公共の財産だと漠然と思っていて、誰かの私物だとは思っていなかったからだ。
しかし思い返せば、そもそも三井家は円山応挙パトロンだった。そう思ってこの屏風を見ていると、西洋風の日本橋も、その上を覆っている首都高も、いますぐにでも取り払える安っぽい書割に思えてきてしまう。
雪松図に最初に出会ったのは、京都の国立博物館だったと思うが、京都では応挙の絵と見えたものが、東京では三井家の屏風に見える。
美はそれを描いた画家のものでもあるが、同時にそれを手に入れた所蔵家のモノでもある。美意識において彼らが共犯関係になければ、何百年という時を経て、私たちがこれを目にすることなどなかっただろう。
屏風と茶道具とともに、今回は能面が展示されている。やはり美しいのは女面。特に、豊臣秀吉が所蔵したという「花の小面」。「花」という名は秀吉の愛蔵した面、「雪」「月」「花」のひとつということだそうな。このなまめかしい若い女の面を見ていると、秀吉の好色ぶりが実感として理解できる気がする。
そして、孫次郎作と伝えられる「オモカゲ」は、名工が亡妻の面影を写し取ったものだと伝えられているそうだ。
能面にはそういう人の執着を思わせるエピソードがよく似合う。
男面のなかでは、盲目の「景清」の迫力に気おされた。盲しいた目の向こうからこちらの気配をうかがっている息遣いさえ感じられるようだった。
サントリー美術館で蒔絵。
漆器を英語で「japan」ということからも分かるように、蒔絵は欧州の貴族に珍重されて、よいものが多く伝わっている。日本ではむしろ散逸してしまっているか、少なくとも熱心には収集されていないようだ。
マリー・アントワネットの愛蔵品などを見ると、その意匠の独創性、技巧の確かさに目を瞠らされる。きっと彼ら貴婦人は、このこまごまとしたものたちを手の中に収めて、飽かず愛玩したことだろう。
実は、三井記念美術館から六本木のサントリー美術館に行くとき、道を間違った。三越前から六本木へは、乗換えがめんどくさそうだったので、表参道でおりて歩けばいいだろうと思ったのである。表参道も乃木坂も六本木も一緒だろうと。
というのは、サントリー美術館東京ミッドタウン森美術館六本木ヒルズ国立新美術館乃木坂駅をでたところ。この三つを六本木アートトライアングルと称して客寄せしている。表参道と乃木坂は一駅なんだし、東京ミッドタウンは乃木坂と六本木の中間なんだから歩けるだろうというわけ。
こういうあてずっぽで当たる場合もあるのだけれど、今回は裏目に出た。歩いているうちに渋谷についてしまった。逆方向に向かっていたらしい。それで先に渋谷セゾンで「悪夢探偵2」のチケットを買っておいた。六本木にはおとなしく恵比寿から日比谷線に乗り換えていった。土地勘のないものはそうするに限る。
地下鉄路線図は特殊な図法で描かれた地図なので、これを眺めていても徒歩での感覚はつかめない。しかし、この地下鉄路線図の方がメルカトル法などより肉体感覚に近い人が圧倒的に多いのではないかと思う。
車が売れなくなるはずだ。東京を車で移動する利点は何一つない。
他人の夢の中に入ることができる探偵という設定がまずは魅力的。そして、その映像化に見事に成功している。
三人の登場人物の悪夢と恐怖が解決に向かっていくのが映画全体の流れだが、その悪夢の描写が圧倒的。この脚本、撮影、監督をひとりでこなす塚本晋也はすごいと思う。
往きの電車の中で週刊文春を読んでいたのだけれど、小林信彦
イーストウッドが作らなくなったとき、アメリカ映画は終わる」
と書いている。
ほんとかもなぁと思う。
以前、テレビでハリウッドの製作会社のえらいさんが、
「日本のアニメやマンガは手付かずの宝庫だ」
みたいなことを言っていたが、それはどう考えても「手付かず」ではない。アニメのリメイクしか思いつかないとなると、もうハリウッドの創造性が枯渇してしまっているといっても間違いではなさそうな気もする。
ところで、小林信彦は最近綾瀬はるかがお気に入りのようだ。こないだまでは長澤まさみ堀北真希だったのである。でも、「ハッピーフライト」は意外に面白そうだ。岸部一徳が出てくると、どんな映画でもなんとなく面白そうに思えてしまう。