昨日の続き。
オバマの就任演説に「change」がでてこないのだそうだ。誰か単語の数を数えていたらしく、そのことをさして、内容がおとなしいと評する報道も見聞きした。
「change」は選挙戦のスローガンなのだから、それを就任演説で連呼する方が胡散臭いと思うのだけれど、どうなのだろう。
小泉純一郎の政治手法を「ワンフレーズ・ポリティクス」とかいって批判していたわりには、「change」という「ワンワード」を、躍起になって拾い集めるTVジャーナリストの頭の中はどうなっているのだろう。内容の検証はスルーして、目下の興味は朝青龍の優勝らしい。
佐藤優が「アメリカ人はおそらく玉音放送のように聴いた」と言った背景は、アメリカという国はそもそも白人のキリスト教徒のものではないという宣言が、演説の中に含まれていることをさしているのだろう。それが、ブッシュ政権下にアメリカを振り回した、ネオコンとキリスト教原理主義の敗戦宣言だとすれば、たしかに玉音放送にたとえられなくもない。しかし、21世紀の十字軍の運命は、20世紀の皇軍のそれより、まだ幾分かましだろう。
日米関係がむずかしくなるという指摘については、民主党の大統領が誕生すると、いつでもそういう風に言われるのだけれど、それは自民党政権にとってというニュアンスも大きいと思う。
たとえば、従軍慰安婦問題が米議会で話題になっても、良心にかんがみて何らのやましいところがない私ら一般人は、どうぞ責任者を八つ裂きでも火あぶりでもしてくださいと思うだけだが、自民党議員は二世三世だらけ、そういうことをいうと自分のおじいちゃんの墓を暴くことになりかねない。ことに安倍晋三のおじいちゃんは従軍慰安婦問題でつつかれると、墓の中から引きずり出されることになりかねない。
そういう風に考えてみると、自民党という政党はたしかにもう古いのだ。政策云々以前に一般人の感覚と乖離しすぎてしまっている。民主党が近いのかというとそうでもないのだけれど。