大竹伸朗

見えない音、聴こえない絵

見えない音、聴こえない絵

 東京都現代美術館で開催された、大竹伸朗の「全景」を見逃したのは、かえすがえすも残念。当時はまだこの人について何も知らず、なんとなく出かけようか出かけまいか、ぐらいのところだったので。
 神のような画家の絵ではなく、巫女のような画家の絵を見たい。神になるより、神とセックスする方が楽しいだろう。
 大竹伸朗によれば、絵は、描きかけのまま放置したものがいつの間にか完成していることもあれば、余計な一筆を加えたがためにすべてが無になってしまうこともあるそうだ。画家は終了させるだけで、完成はどこかからやってくる。
 「雪松図」を京都で見ると応挙の絵に見え、東京で見ると三井家の屏風に見えると書いたが、絵を描いたものとその絵を見たものは、目を通じて世界を共有していて、その目の地縛霊が、東京にも京都にもまださまよっているのだろう。と、そんな変な納得の仕方をしてしまった。
 絵は、持ち運びできる異界の窓で、よい絵はそれを開くたびに、いつも見知らぬ世界を見せてくれる気がする。