女神記

女神記 (新・世界の神話)

女神記 (新・世界の神話)

以前ロシア人作家の『恐怖の兜』という小説を読んだが、この『女神記』もあれと同じく、世界32カ国共同プロジェクト「新・世界の神話」の一作だそうである。
仏教も、キリスト教も、イスラム教も、古事記も、ギリシャ神話も、アイヌ神話も、ゲド戦記も、アイスランドサーガも(なんかオバマの就任演説みたいだが)全部並列に、神話という視点で捉えなおすことのできる時代だ。
キリスト教だけが真実です」とか、「イスラームが世界を支配するまで戦い続ける」とか、そういう人間が、きちんとバカに見える、なかなかいい時代だ。
『恐怖の兜』は、たしか、ミノタウロスを閉じ込めた迷路の神話を、インターネットのチャットルームと重ね合わせたなかなか面白い小説だった。ただ、ラストは「どうでしょう?」といった感じ。
桐野夏生の小説は「イザナギイザナミ」である。
古事記の成立過程については梅原猛の刺激的な解釈があるが、こちらはそういうことではなく、「神話」と言うテーマがさまざまな国の現代の作家に与えられたとき、どのような物語が生まれるか。つまり、さまざまな文化が継承してきた神話は私たちの中にどのように生きているのか死んでいるのか。
イザナギイザナミの話は私たちにはおなじみだが、これをいろいろな国の神話と並べて放り出してみることは、私たちの心の一部分に鍬を入れてひっくり返してみるような効果がある。
日本人のリアルはイザナギイザナミの中にも確かにまだちゃんとある。
たいていの人は、自由に生きることより、生きる物語を押し付けられたいと望んでいる。理不尽であっても掟を渇望している。多くの人は、そのことを宗教とか文化とか呼んでいるだけだ。
そのことは、自覚だけでもしておいたほうがよいと思う。何かを正しいとか間違っているとか感じる感覚は多くの場合、理性とは違う回路を通っている。