円朝芝居噺 夫婦幽霊

円朝芝居噺 夫婦幽霊

円朝芝居噺 夫婦幽霊

辻原登の「青白い炎」?
最近、辻原登ばかり読んでいる。面白いから。
作家の知人の遺品の中から、現代では廃れた速記法で記されている三遊亭円朝の幻の落語がみつかった。
それを解読し翻訳しながら、そもそもこの速記がどのように成立したかを推理していく。辻原登の想像力が縦横無尽に駆け巡る。
桂米朝著『四集・上方落語ノート』の「風流昔噺」発掘のくだりをちょっと思い出した。
考えてみれば、円朝の日本の小説に与えた影響はかなり大きいのだろう。それを、こむずかしい理屈でなく面白い小説で「なるほど」と納得させてしまうところが、辻原登のすごさ。
ところで、巻末に付された「円朝倅 朝太郎小伝」の中に
「この年、(芥川龍之介が「鼻」で文壇デビューした年)森鴎外は『渋江抽斎』を発表した。日本文学史上画期的なこの「史伝」小説の中に、ほんの一瞬だが円朝が登場する。」
とあって、はて、あったかなぁと思いながら読みすすむと、思い出した。確かにあった。
前にも書いたけれど、わたしは『渋江抽斎』を、今は多分ないと思うのだけれど、旺文社文庫で読んだ。あの脚注は微に入り細を穿っていて、あれがなかったら絶対私なんかでは歯が立たなかった。
あの親切な注のおかげでほんとに面白くて、私としては珍しく二回繰り返して読んだ。若いころに読んだ本は、忘れているようでも何かのきっかけでけっこう鮮明によみがえってくるものみたいだ。
たしかに円朝が一瞬出てくる。だけど、『渋江抽斎』が発表されたのが、芥川デビューの年だったとは知らなかった。そういう世界を俯瞰で眺める想像力が辻原登の真骨頂かもしれない。森鴎外芥川龍之介がいる世界には円朝の倅、朝太郎も確かにいたはずなのである。
芥川龍之介は今という時代から見た方がさらに面白い気がする。「河童」とか「歯車」とか、あんな奇妙な小説が文壇のほぼ中央から出てきたのは不思議な感じだ。
ただし、凡人には芥川龍之介円朝の倅が重なって見えたりはしないものである。