映画「小三治」について書いたブログをそれからそれへと見て回っていた。
というのは、昨日のは、一旦書いたあとずいぶん削り、それをムーヴィーウォーカーのレビューに転載するとき、さらに削り、その削ったものをまたブログにコピペして組みなおして上書きするというふだんあまりやらないことをしてしまったので、他の人はどんなレビューを書いているだろうかと気になった。
あの映画はどこまでもドキュメンタリーで、魅力の大部分を柳家小三治をはじめ、出演した噺家さんたちに負っている。一貫したストーリーがあるわけではないので、断章的につまみあげたい言葉がいくらでもあった。
しかし、それをやると映画全体をうまく伝えることが出来ない気がして、全部削り落としてしまった。前後関係を無視して言葉だけつまみだしてしまうと、教条的にとられかねない。
しかし、ブログでそこまで神経質になるのもどうかなという反省もあって、他の人の感想を見ていたのだ。
中で、「おくりびと」を二度みたという人がいて、「二回見るもんじゃないな」というもっともな感想を洩らしていた。映画のもととなった『納棺夫日記』を書いた青木新門のインタビューが転載されていて、クレジットから映画の原作をはずしてもらったのは、映画は結局ヒューマニズム、人間中心主義にとどまってるところが原作とちがうということだそうだ。
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090302mog00m200035000c.html
あの映画は思ったより朴訥とした感じで、それがかえってテーマにあっていたと思う。
ただ、たしかに広末涼子はまだアイドルのしっぽを引きずっているなぁとは思った。特に、夜中に本木雅弘が弾くチェロを蒲団の中でひとり聞いているあの表情は違うと思う。