「フロスト×ニクソン」

エリザベス女王とトニー・ブレア首相を描いた『クイーン』の脚本家、ピーター・モーガンが脚本、原作ならびに製作総指揮にあたっている。監督は『アポロ13』のロン・ハワード。つまり、実話を映画化する名手ふたりだ。
『クイーン』でブレア首相を演じ、この作品ではデビッド・フロストを演じているマイケル・シーンは、ピーター・モーガンの脚本の魅力を、
ひとつは、
「いいストーリーを見つける目」
もうひとつは、
「有名人や権力者を人間らしく描き、観客の共感を誘う点」
だと語っている。
この映画は実はピーター・モーガン自身が脚本を手がけた舞台が元となっている。その舞台は8週間の予定が2年のロングランを記録する大ヒットとなった。
モーガンは当初、
「けして映画化できない」
と信じていたそうだ。
「絶対に脚色できないように最善を尽くして戯曲を書いた。舞台の上で生きることを運命付けられるように、非常に演劇的なものを書いたし、それが僕の望みだった。」
それは、最初にピーター・モーガンが、フロストとニクソンのインタビューを
「言葉と頭だけを武器として使う、剣闘士たちの丁々発止の決闘競技」
としてまとめあげようと考えたそのコンセプトによるものだろう。
監督のロン・ハワードが舞台を見て
「二人だけで闘われる強烈な闘争を扱った心理性格劇」
だと感じたのは、ピーター・モーガンの企みが見事に成功していた証しだろうし、その一方で、劇自体が作者の最初の企みを越えて、もっと深いものに熟成されていたことも示唆していると思う。
ロン・ハワードの説得で、みずから映画の脚色をてがけることになって初めて、ピーター・モーガンはすべての始まった場所、カリフォルニア州オレンジ郡や、ニクソン博物館を訪ねている。
舞台でも映画でもニクソンを演じるフランク・ランジェラは、映画のニクソン
「舞台と同じではなくなった。舞台よりも、深く悲劇的な迷える男性として演じている。」
と語っている。ロン・ハワードもいうように、映画はさらに豊かで立体的になった。
舞台を映画化した作品は、たとえば「ダウト」などもそうだが、どこかに舞台の痕跡を感じさせる。空間であったり、台詞であったり。しかし、この作品にはそれがない。
たぶん、ピーター・モーガンが最初に企画した「丁々発止の決闘」という要素は、切り詰められた舞台での演出の方が堪能できるのではないか。しかし、映画は、ロン・ハワードが最初に直感したという、二人の男の「心理性格劇」としての面をより深くしている。
それは、映画化にあたってピーター・モーガンが、舞台でフロストとニクソンを演じたマイケル・シーンとフランク・ランジェラを映画でも起用することを譲れない条件としてあげたことも大きく寄与していると思う。
「ほぼ2年間ずっと、2人はフロストとニクソンとして生きてきたんだから」
と、モーガンが語るように、このフロストとニクソンの闘いには二人の役者の命が吹き込まれている。すでに彼ら自身の闘いでもあるのだろう。
フランク・ランジェラの演じたニクソン役には、現に多くの有名俳優から売込みのデモテープが寄せられてきたそうだが、舞台がニューヨークに移り、フランク・ランジェラ自身の名演がスタジオを納得させた。
グッチの靴の話や、物語の転換点としてピーター・モーガンが創作した電話のエピソードは、この映画がもう実在のフロストとニクソンを離れ、まるで古典的な性格劇となっていることを感じさせる。
多分、実際のニクソンは、この映画のニクソンのような風格を持ち合わせいないだろう。喜劇的な現実もすぐれた作り手たちによって古典劇に生まれかわる。それとも、喜劇的な現実だからこそなのだろうか。
心ならずも喜劇的な首相をいただくわたしたちには、今を考えさせるよすがにもなるだろう。