花はさくら木

花はさくら木

花はさくら木

辻原登にはいつもながらやられる。
書き出しの数行を引用してみよう。

 花はさくら木ひとは武士、とはいったいいつごろ、だれがいいはじめた言葉だろうか。

 花はさくらにかぎる。

 徳川の世も半ば過ぎ、八坂神社が祇園感心院と呼ばれていたころ、その坊のひとつ、宝寿院の庭にあった美しい枝垂桜を指したともいうし、そうではないという説もある。それはともかく、何代目になるかは知らないが、宝寿院の桜がいまの円山公園の枝垂れである。

 時代は爛熟して、駘蕩した、めったにない幸福が日本列島を支配していた。幸福の中心は京都だった。祇園円山の枝垂桜はますますきれいになっていった。そして、女性も。

 では、ひとは武士、とはいったいだれを指したのだろうか。

読書の途中で、世間の雑事にまきとられてしまって、読むのに時間がかかってしまったのだが、読みすすみ、読み終わってみると、この冒頭の数行が記憶によみがえってきた。
この数行に、作者の悪戯めいた笑みを感じるのだ。
「花はさくら木、ひとは武士」
それはそうと、私がこの言葉を初めて耳にしたのは、きっと、古今亭志ん朝の「井戸の茶碗」である。なので、私にとってこの言葉はお江戸の匂いのする言葉なのだが、この小説の舞台は、京都、大阪で、そこに田沼意次がやってくるのが何ともいえないところ。
著者は他の作品でも明らかにしているように紀州和歌山の出身。田沼意次
「徳川八代将軍吉宗が、将軍就任に際して紀州より抜擢して江戸の幕臣に加えた家臣団の田沼家出身で、1751年には九代将軍となる徳川家重の御側御用取次に昇格した。」
とWikiにある。
このWikiの記述を読んでいると実に感慨深い。
改革者は失脚し汚名を着せられる。そして、その成果は凡庸な保守派に食いつぶされる。歴史は繰り返すか。
現在では、田沼の功績を疑うものは少ないだろう。
しかし、この小説を歴史小説と思って読みすすむとやられる。冒頭の数行はそういうことなんです。
ジャスミン」をお読みになった方は、すでにご存知のように、この作家は、時間的にも空間的にも、世界を広い視野で俯瞰できるロマンチストなのだ。まさに帯にあるとおり、
「最後の女帝、後桜町天皇と、田沼意次の権謀術数が活躍する、人、歴史、地理があやなす華麗な恋ととびきりの冒険の長編小説!」
誰が書いたんでしょうな。「人、歴史」はともかく「地理」って・・・。
しかし、帯の限られたスペースに書こうとすると、こうならざるえなかったのはよく分かります。たしかに、当時の京、大坂自体が小説の主役なのかも。
物語は、宝暦十一年の春に始まり、その秋に幕を閉じます。でも、まるで何百年の絵巻を見ているようなスケール。
ついでながら、こないだからちょくちょく話題にのぼしている伊藤若冲や円山主水もでてきます。江戸も上方も百花繚乱、絢爛豪華な時代だったんですね。