「スラムドッグ$ミリオネア」

knockeye2009-04-24

さて、先週、小林信彦のすすめにしたがって「ヤッターマン」を観たために、後回しになっていた「スラムドッグ$ミリオネア」を観た。
おくりびと」にアカデミー外国語映画賞を授与したウエットな心は、はたしてどのような映画を選んだのであろうかと、やや危惧していた。
しかし、杞憂だった。
先週も、
「『おくりびと』のアカデミー外国語映画賞獲得が話題になったけれど、この『スラムドッグ$ミリオネア』だって『外国語』じゃないにしても、『外国映画』じゃないの。」
と書いたけれど、それどころか、これは立派に「外国語映画」だ。
ほぼ全編ヒンディー語にあふれている。
ああ、インド!
脚本は「フル・モンティ」のサイモン・ビューフォイ。「フル・モンティ」の舞台はイギリスだが「フラガール」などと同じく、「炭鉱もの」とジャンルわけされる映画のはずだ。
監督ダニー・ボイルのインタビューによると
「(脚本を)10ページも読んだときには、僕はもう絶対これを監督すると決めていたよ。そもそも、舞台がインドだということすら、それまで僕は聞かされていなかったんだ。
(略)
インドで撮れば、絶対に違う作品になるという保証があるから、それもまた魅力だった。
(略)
インドは人を変えてくれる。あくまでオープンマインドであれば、だけど。あそこに行っても心を閉ざしてすべてを拒絶し、ただショックだけ受けて帰ってくる人もきっといるだろうね」
映画の中にアメリカ人が登場する場面が一箇所あるが、思い出して笑ってしまう。あれはイギリス人の監督ならではなのかもしれない。
私は、石井光太の「物乞う仏陀」も読んでいるので、前半部の子どもたちのシーンには、心臓がバクバクした。あれでもショックを受ける人も多いだろうが、インドの実情はもっとひどい。
「物乞う仏陀」に書かれているようなことが映像で見せられるのかと思ってハラハラしたわけ。そうではなかったので心臓の弱い人も安心して観にいってよい。
「映画の3分の1がヒンディー語であることを、僕は誇りに思っているんだ。彼らの演技がすばらしいから、言語がバリアになることはないはずだ、と僕は信じた。」
「映画の街ボリウッドに住む彼ら(地元で俳優として雇ったアマチュアの人たち)にとって、映画は文化の一部だから、彼らは驚くような演技をやってみせてくれたよ」
まったく、魅力的な少年少女が、現代のインドを生き抜く痛快なピカレスクロマンだ。
あのムンバイのスラムの空撮は、「K20」の架空の日本を思い出させた。でも、私たちの住んでいるこの国も、一皮むけば、あんなスラムではないのかという気持ちが実感として去らずにいる。建設ラッシュに沸くムンバイを見下ろす兄弟の姿は、いつかの私たちの心象風景なのではないかと。
これから、中国とインドの時代になるのだろうが、できれば私はインドに付きたい。少なくともそこには自由があるから。
ところで、全くの余談だが、ロシアツーリングの最終日、船を待つ安宿のテレビでロシア版「クイズミリオネア」を観た。あのクイズ番組は世界中にあるんですね。