水墨画、ムーミン、マティス、月岡芳年

knockeye2009-05-01

昼中はからりと晴れ、朝晩はひんやりする気持ちのよい五月の始まり。豚インフルエンザの警戒レベルはフェーズ5だが、こんな日は出かけずにおれない。さっそくきのうのリストからまずは、
「日本の美・発見 水墨画の輝き ―雪舟等伯から鉄斎まで―」
出光美術館の受付嬢はふたりともマスクをしていた。

周文、雪舟牧谿、玉澗、探幽、等伯宗達光琳、それに田能村竹田、葛飾北斎、鈴木其一、仙崖和尚や、めずらしいところでは、北条早雲宮本武蔵といった武人の絵まで名品ぞろえに加えて、学芸員の詳細な解説がためになった。
「本展示に即した解説のため偏りがある」と断りがあるが、日本と中国の水墨画の違いについて、牧谿の評価の差に着目して概観していた。
唐代に生まれ、五代、北宋時代に飛躍的な発展を遂げた中国の水墨画の中で、どちらかといえば異端視されている牧谿の絵が、日本の水墨画にはむしろ大きな影響を与えたとしている。
「骨法用筆」といわれる輪郭をきちんと描く絵ではなく、むしろ濃淡のトーンで空気感を表現する牧谿が日本では好まれた。
足利将軍家が代々蒐集した中国の美術品「東山御物」の「御物御画目録」の約4割にあたる103幅が牧谿の作品なのだそうだ。
それには同朋衆として仕えた「三阿弥」と呼ばれる能阿弥、相阿弥、芸阿弥の審美眼もあるそうだが、一方で、日中の文化交流が仏教界を通じてのものであったことも大きいのではないかと思う。
つまり、日本の水墨画は宮廷的であるよりは仏教的なのかもしれない。
特に、私が気に入ったのはやはり長谷川等伯
「竹鶴図屏風」
竹林が画面に刻むリズムの美しさは、後の
「松林図屏風」
を予見させる。
等伯水墨画のひとつの到達点と言えるのかもしれない。
なお、この左の鶴には牧谿の「観音猿鶴図」の影響が見られるのだそうだ。等伯牧谿のその絵を秀吉の元で見ている。
この展覧会のポスターにもなっている
「竹虎図屏風」
には、
「この絵は室町時代の画家周文のもので、それを等伯が修復したものだ」
という意味の、狩野探幽の書き込みがある。
長谷川等伯狩野派の確執の一端がうかがえる気がする。
ゴッホの絵にゴーギャンが「これはミレーの絵だ」とか、書き込まないでしょ、失礼な)
比較的保存が利くというのも水墨画のよいところではないだろうか。宗達のいくつかの絵は銀が焼け金が剥がれ落ちてしまっているのに対して水墨画はまだまだ百年は持ちそうな気がする。
鍾離権図」では筆の確かさが堪能できるし、
「龍虎図」
のユーモラスさが気に入った。
尾形光琳
「蹴鞠布袋図」
布袋さんが頭陀袋をおろして蹴鞠をしている。鞠と、布袋さんのおなかと、頭陀袋という配置がいつもながら光琳らしい。
鈴木其一の
「雑画巻」
は、スケッチみたいなものだと思うのだけれど、スミレが可憐だ。
其一まで時代が下ってくると感覚が私たちに近い気がする。宗達光琳ほど想像力がはばたけないという印象を、この人の絵を見るたびに持つ。
田能村竹田の
「菊図」
は、花びらを消え入りそうな細い線で描き、葉を「没骨法」という輪郭を用いない技法で描いている。端正な絵。
それはそうと、北条早雲の絵のうまさにはびっくりした。ためらいなく引いた山の稜線に品位を感じる。こういうのを見ると時代が劣化しているということを実感しますね。
次に、東京駅周辺シリーズ、ほとんど東京駅なんだけど、大丸で
ムーミン展」

トーベ・ヤンソンの絵には思わず顔がほころぶ。とくにちびのミーが好き。アニメ版では少し大きめだけれど、ほんとはコーヒーカップに入るくらい小さいのだ。
グッズもいっぱい売っていて、この国家存亡の経済危機にもかかわらず、体温が上昇して、つい財布のひもがゆるんでしまった。
次に八重洲口から少し歩いて、ブリジストン美術館
マティスの時代」
ムーミン展」ではプリントアウトしていったクーポンを使ったのに、こちらでは出し忘れてしまった。お昼を食べて眠たくなってしまったみたいなのである。実際、美術館の休憩所ですこしうたた寝した。
ここのは、企画展みたいに銘打っているけど実際は常設展のならべかえみたいなもの。でも、近くに来たら見る価値はある。
ボナールの
「海岸」
という絵があって、やはりボナールはよい画家だと思った。ちょっと色彩に入れ込みすぎたきらいはあるけど。ボナールの方向だと、絵は色と面の組み合わせに過ぎないということになる。
ちょっと眠って回復したので、帰りがけの駄賃に表参道の浮世絵太田記念美術館
芳年 -『風俗三十二相』と『月百姿』-」

この絵は、
「風俗三十二相」より
「めがさめそう」
明治の薄っぺらな忠孝思想が少し鼻につく、晩年の「月百姿」の方もいいけれど、こういう色っぽいほうが私は好きです。