消息

きのう非常に久しぶりに滑川で働いていたころの上司がこちらに来て、機械のテストをしていった。
それで、いろいろと富山の近況を聞けたのだけれど、希望退職を募ったのは同じだそうだが、本社は組合員には手をつけず、役職付きの人たちが希望退職したのだそうだ。ぶっちゃけクビだね。
私の直接の上司だった人も辞めさせられて、今は派遣社員として再雇用されているそうだ。
ひどいとは思うけれど、まあ、そういうことに超然としている人ではあったので、「らしいな」という気もする。
「らしいな」といえば、私がこちらに移るにあたってお世話になった、職場のトップだった人は、今回の大不況になるはるか前に辞めてしまっていたのだそうだ。
有能だし、人望もあるし、将来は約束されていたと見えたのだけれど。ただ、私がこちらに移るときにひとこと、
「会社員なんてつまらんもんだよ」
といってはいた。
去年の夏だったかにすこしこのブログにも書いた、当時の年下の同僚は、社員になれるはずだったのを棒に振って職業訓練にかよっていたのが、このたび就職がきまった。これは、彼から直接メールをもらった。
私と違って、自然に、人間関係をだいじにできるひとのようで、そういうところは感心している。わたしもついがらにもなく、ささやかな(掛け値なしにささやかな)お祝いを贈っておいた。
富山を離れてずいぶんと経つし、当時も今も深い付き合いがあったわけでもないのに、絶えて久しかった消息を耳にすると、「その人たちらしいな」という気がするのが不思議だ。
でも、ふりかえって、私ってどんな人なんだろうね。
今の私は私らしいんだろうか、私らしくないんだろうか。
そういえば、リンクしていただいているやんやさんがBMWを売っちゃって、小さなバイクに乗り始めたとき、「やんやさんらしいな」と思ったものだった。
ただ、その「らしさ」がその人そのものというわけでもないのだろう。
何を言っているのかわからなくなってきたので、こういうときは、映画で見た印象的な言葉で締めくくっておくと誤魔化せる。
「友だちはつくるものではない、認めるものだ。」
どうでしょう?
ああ、それから、思い出したのだけれど、昨日書いた
「日本には成熟のモデルがない」
という言葉は、もしかしたら小貫大輔さんの本にあったのかもしれません。