桂雀三郎独演会

きのうから身体が少し疲れていて、その感じが今日まで続いている。
それは、今そう思っていることだけれど、朝の時点ではそんなにはっきり意識していなかった。梅雨寒というのか、七月になったというのに妙に寒いよね。半袖では電車やビルのクーラーが少しつらく感じられた。
今日は桂雀三郎の独演会が内幸町ホールである。わたしは今年で二回目だが、去年は夜だったのに今年は昼(マチネっていうかな?)。
演目は「胴乱の幸助」と「三十石」。
「三十石」はこのところ雀三郎が取り組んでいるネタなのかも知れない。五月の京都の会でもあれをかけたらしいし、去年の横浜にぎわい座の昇太との二人会でも演じた。
あのにぎわい座での「三十石」はすごくよかった。聞いていて心地よかった。ただ、客が聞いていて心地よいくらいのリズムで演じると、すごく長くなるネタなのではないかと、そのへんは気にしなくていいと私は思うのだけど、あの日は帰りが10時近く、というといいすぎかな、9時半をまわった。子どもじゃないんだから、そのくらいは気にしなくていいと思うが、横浜の昇太の客にはつらかったかもしれない。
今日は逆にそのへんのことを少し意識して演じていたような気がして、少し走り気味であったような気がする。私の体調が悪かったせいもあるのだろうと思う。けっこう登場人物の多い、絵巻物のような噺なので、うっかりしていると客が取り残される。船に乗り込むまでの前半と川くだりの後半のコントラストをはっきりつけないと客がだれる。だから、ほんとは前半と後半の間にもう一度小さめのまくらみたいな噺を挟みたいところかもしれない。もちろんそうするとますます長くなるわけだけれど、それでもいいのじゃないかという気がするのは、桂雀三郎の「三十石」を聞こうかという客は、とにかく笑わせろという客ではないはずなので。
一席目に「胴乱の幸助」を持ってきているのは、その爆笑の部分をこちらで補っておくという意識があるからだろうと思う。昇太との二人会のときは、新作のこれはほんとの大爆笑編「神頼み〜恋愛編」であった。
「胴乱の幸助」は枝雀師匠のも米朝師匠のもテレビで聴いたが、あの噺は枝雀師匠のが絶品だった。割り木屋のおやっさんの背が低いというのは枝雀の工夫だったんだろうかと思うが、ちょこまかと人の間に分け入っていく感じが目に浮かぶような演出だった。
「胴乱の幸助」も「三十石」も京大坂を股にかけた噺という点で共通している。わたしら上方の人間にとっては、地理関係が直感的にわかるが、関東の人にそれがわかっているかどうかというあたりが、よそごとながら気にかかる。それは逆に言えばわたしら関西人にとっては群馬も神奈川も一様に「トーキョー」であったという体験から推し量っているわけである。京都と大坂がどれくらい離れているかということがまずわからないと噺の魅力は半減するだろうと思う。
現に、開演前に私の後ろの席に座っていた二人、一人は関西出の人、もうひとりはこちらの人のようだったが、
「あなたは大坂のどのへん?」
藤井寺です」
藤井寺って高槻からするとどのあたり?」
とかいう会話をしていた。
この会話は、関西人にとってはこれだけで少し笑えるのだけれど、たぶんその感じはこちらの人にはわからないはずである。
伏見で「三十石」の船に乗り込んで、中書島枚方と下るにつれてだんだん夜が明けていくあの感じが私はすごく好きで、もっとたっぷり聴きたいとおもうほどである。
内幸町ホールの照明は、前もそうだったか記憶が曖昧だが、ちょっと高座に強くあたりすぎていたのではないか。歌舞伎じゃないので舞台と客席の明暗差をそんなに強くしなくていいと思う。客席は空調が効きすぎて少し寒すぎるくらいだったのに、雀三郎師匠は汗だくになっていた。「シャイン・ア・ライト」のミック・ジャガーじゃないけど、雀三郎師匠を燃やしちゃったら大変なのだ。
江戸からの噺家さんは柳亭市馬で「あくびの指南」。独演会の客演ということを弁えてか、前の「胴乱の幸助」の話を受けて浄瑠璃の稽古の話を挟んだりして、あのあたりはさすが真打という感じがした。本来真打というのはああいうもので、その場その場に応じてネタが変えられなきゃいけないのである。
兄弟子、柳家小三治入船亭扇橋のお二人から稽古をつけてもらった話などしていたが、入船亭扇橋という方はもう80歳とは驚いた。見えないような見えるような。映画「小三治」の二人の掛け合いはほんとに面白かった。
桂雀三郎の次のこちらでの高座は11月7日土曜日、横浜にぎわい座での昇太との二人会だそうだ。