鴻池朋子展インタートラベラー神話と遊ぶ人

会場入口のソファに、少年の下半身がすわっている。紺の半ズボン、赤い運動靴。
半ズボンから出た少年の脚は、この作家が好んで使うモチーフのひとつだ。
地球の内部へと降りていく、胎内めぐりのような構成になっていた。鑑賞者を飽きさせないサービス精神は、鉛筆画のアニメーションにも顕れていて、現代芸術のビデオ作品には、面白いかどうかは「おいといて」という作品もあるが、この作家のミミオのアニメーションはストーリーがあって面白い。つい、足を止めて見入ってしまう。
圧巻だったのは「赤ん坊」という大作。感覚がだまされるのか、観ていると体が浮き上がるような感じがした。
焚書ーーWorld of Wonder」という鉛筆の連作を観ていて、この作家の作品に繰り返し登場するモチーフ、半ズボンの少年の脚、狼、ナイフは、世界への畏れと死の誘惑をあらわしているように思った。侵犯の甘美さ。
たとえば「第3章 遭難」は、たて220cm、よこ690cmのパネルの場面は暗い森の中だが、右端に小さく遠くの遊園地とおぼしきジェットコースターの軌道が見えている。つまりけして太古の森ではないのだ。穢されなければ美しさは生まれないというか、穢れと美しさは表裏一体だと感覚的に信じているのではないか。
そういえば「信じる」ということばについても、作品の中で、面白い言及があったと思うけど、正確に思い出せないのでここには書かない。