メキシコ20世紀絵画展

knockeye2009-07-19

世田谷美術館で「メキシコ20世紀絵画展」。
レオナール・フジタは1931年から33年にかけてパリを離れ、南米各国を歴訪している。メキシコにも半年近く滞在し、パリで親交のあったディエゴ・リベラに再会、メキシコの壁画に刺激を受けたと思われる。
フジタは後に「アッツ島玉砕」を「会心の作」と呼んでいるが、その意味は、パリでの乳白色の裸婦の成功〜新しい画風の模索〜メキシコの壁画運動との出会い、という流れの中で見るべきだと思う。
ディエゴ・リベラは、パリでキュービズムの画家として成功していたが、西欧中心主義に飽き足らず、メキシコに戻って壁画制作を始めていた。
壁画の特徴をあげれば、ひとつは大画面であること、もうひとつは鑑賞者が金持ちのパトロンではなく「民衆」であることだった。
この「民衆へ」、という思いは、南米歴訪前に、日本へ凱旋帰国していたフジタにも、西欧中心主義への反発とともに、共感できることだったのではないかと思う。
フジタの日本での個展は大盛況であったにもかかわらず、日本画壇の評価は冷ややかだった。パリ画壇で成功していたフジタにとって、日本画壇などというものはあるかなきかの存在に過ぎなかったろうとは思うが、サロンやアカデミズムに通底する特権意識に、あらためて辟易したことは想像できるからである。
アッツ島玉砕」は、むしろすすんで国家の犠牲になっていく民衆の姿を描いた絵であった。その絵の前で手を合わせた老婆がいたという話を聞いて、フジタは「会心の作」といったのではなかったろうか。
もし「無辜の民衆」というイメージがフジタの「内なる故国」であったとすれば、戦後、フジタは彼自身の「内なる故国」に裏切られたことになるだろう。
顔のない「民衆」という意識は、近代国家とともに生まれた概念かもしれない。それは、以前、村上龍渡辺直己の対談で示唆されていたように思う。
(さらにいえば戦争もまた近代国家にとっては所与の条件であったかもしれない。)
パリの西欧中心主義に反発したメキシコの画家たちは、近代のエッジにたって、これに立ち向かおうとした。
だからそれは、近代が過ぎ去った今という時代から見ると、うち捨てられざるえない方法だと思う。メキシコの今の画家たちはたぶん新しい方向を模索していることだろうと思う。
今回の展覧会のポスターに使われているのは、ディエゴ・リベラの妻で画家のフリーダ・カーロの自画像だが、これはフリーダ・カーロ知名度を恃んだ戦略のようで、彼女の作品はこの一枚しかなかった。彼女の存在はメキシコ絵画全体からすると異色ではあるのだろう。
ディエゴ・リベラはうまい画家だと感じた。今回展示されていたのは五点だけだったが、どれも趣が違う。どんな手法でも彼なりに消化し作品に反映できる。底知れなさを感じさせるが、五点だけでいうことはできないが、フジタの乳白色のように、これがリベラだというほどの個性は感じられなかった。
リベラに加えて、ホセ・クレメンテ・オロスコダビッド・アルファロ・シケイロスをメキシコ壁画の三巨匠というそうだ。オロスコの「十字架を自らの手で壊すキリスト」や、シケイロスの「進歩の寓意」には、非常に近代的なものを感じる。人間中心主義や科学の進歩を確信し、それによって社会を変革しうると信じている。
「進歩」という概念は今でも有効なのだろうか。私にはわからないが、とりあえず今は棚上げになっているとは思う。
今回の展覧会で私がもっとも気に入った画家は、マヌエル・ロドリゲス・ロサノ。「売春婦」と「ホロコースト」という二点だけであったが、絵としての存在感は圧倒的だった。
「売春婦」の焦点の定まらない目と、頬に差す赤みの生命感が、こちらに伝わってくるように思えた。
フリーダ・カーロが人気があるのは、近代がうち捨ててかえりみなかったものが、彼女の絵の中にあるからではないのかとも思う。彼女の絵はほとんどが自画像なので、今回のものも自画像なのだが、そこに描きこまれた三粒の涙が、巨大な壁画群よりも、時代を超えて生き残るとも思える。

同時開催されている「利根山光人とマヤ・アステカの拓本 」も迫力があった。