「エル・カンタンテ」

わたくし、音楽に関して自分にテイストがないことがわかっているので、音楽の映画があるとつい引き寄せられてしまう。
「エル・カンタンテ」は、サルサの声と言われたエクトル・ラボーの代表曲のタイトルでもある。
ジェニファー・ロペスが立ち上げたニューヨリカンという製作会社の第一弾作品。
オリジナルの脚本は、エクトル・ラボーの妻、プチ本人からジェニファー・ロペスのもとに送られてきたものだそうだ。映画の企画はエクトル・ラボーのマネージャーだったマルドナルドで、プチのインタビューテープをもとにして書かれた脚本だった。
プチを演じているジェニファー・ロペス自身は、プチが事故死したため会うことはできなかったが、そのインタビューテープを繰り返し聞いたそうだ。
エクトル・ラボーとともに、プチもまたこの映画の主人公といえるだろう。メリメの「カルメン」を連想させる、エクトル・ラボーにとっては文字通りのファム・ファタル(運命の女)となったラテン女性をジェニファー・ロペスは魅力的に演じている。
その意味では、プチへのインタビューを下敷きにしたとは言え、ナレーターはプチではなく、音楽の上での伴侶だったウィリー・コローンにしたほうがすっきりしたとも思う。
プエルトリコの移民から音楽で這い上がっていく若い男女の、二人にしかわからない愛憎、そして、エル・カンタンテ(ザ・シンガーという意味だそうだ)エクトル・ラボーの頂点に立つものの孤独。ドラッグ、カルト、エイズ、まるで70〜80年代が凝縮したようだが、それらはこのテーマの彩りに過ぎないと思う。
パンフレットによると、マディソン・スクエア・ガーデンのコンサートシーンは、プエルトリコで撮影され、エキストラとして現地の人が集められたが、
「・・・人が集まりだすと、どこからともなく、”エクトル!エクトル!エクトル!”と叫び声があがった。そしてその叫びは”我々はプエルトリコ人だ。忘れないでくれ。”と変わっていったんだ。あれはパワフルな瞬間だったよ。」
と、レオン・イチャソ監督は語っている。
映画の後半での、あるやりきれないシーンと思い比べるとき、この逸話は対照的なコントラストで、スターの栄光と孤独を強く印象付ける。
そして、キリスト教徒にとって逃れがたいテーマ、父と子の物語が織り込まれている。
その土曜日、7時58分」の時もそうだったが、キリスト教徒の父と子は殺しあう。「重力ピエロ」が立体的な厚みをもって感じられたのも、そのことがあったからではないかと思う。
火による浄化は、私たち湿潤な水の国の住人にはわかりにくい。私たちの社会は無限に許す母性に包まれていて、世代間の競争を嫌う傾向にあるのか、切羽詰るまで変化が起こらない。
エクトル・ラボーを演ずるマーク・アンソニーは現代を代表するサルサの歌い手で、プライベートでもジェニファー・ロペスの旦那さんである。
エクトル・ラボー本人に比べると、男の色気というより、どちらかというと少年性が前面に出ているように思う。しかし、ルペン・ブラデスの歌う「エル・カンタンテ」を聴くあの表情は、映画を見終わった後もしばらく印象に残った。
それから、ひとつ書き忘れていた。
マーク・アンソニーは、NYで音楽プロデューサーをしていたエクトルの甥の紹介で、一度だけエクトル本人にあったことがあるそうだ。
リビングでテレビを見ていたエクトルはテレビから目も離さず
「ハロー」
とだけ言った。
ソファの隣に座ってしばらく一緒にテレビを見ていると、突然彼の方を向いてスペイン語でこう言った。
「信じられるか!見たことないくらいブス女だ」