メアリー・ブレア展

メアリー・ブレア展をご覧になれば伊藤公象展が半額になりますけれど」
といわれて観ることにしたメアリー・ブレア展であったが、なかなかに侮りがたきものであった。
草創期のディズニー社にあって、「シンデレラ」(1950)、「ふしぎの国のアリス」(1951)、「ピーター・パン」(1953)など多くの作品に関わった。
また子どもとの時間を持つために一旦退社したあと、ウォルト・ディズニーに請われてイッツ・ア・スモール・ワールドのデザインをしている。
ディズニー社ではカラースタイリストという仕事をしていたそうだが、色彩感覚がすばらしく、イッツ・ア・スモール・ワールドのために描きおろした作品群の色の氾濫には狂気を感じる。
あの絵をもってデザインとはたぶん言わない。あえていえばコンセプト画だろうが、むしろインスピレーションとか霊感と呼ぶべきではないだろうか。
たとえば今、ハリウッドのアニメ製作会社に彼女の絵を見せて、「これをアニメにしろ」といわれてできる会社はひとつとしてないはずである。
草創期のディズニーの底力は、彼女のような絵をコンセプトとして重用した、ウォルト・ディズニーをはじめとするスタッフのアーティストとしての志の高さだと、改めて思い知った。
まず、素晴らしい絵がある。そして、その絵を映画にしたいという思いがある。そこから作品作りがスタートする。だからこそ観客に訴えかける映画ができる。
今のハリウッドは、たとえば手塚治虫の『鉄腕アトム』をリメイクするときにも、原作に対する敬意のかけらもない。
主人公の顔を決めるのに市場リサーチから始める。「35歳のオヤジかと思った」(虫プロの責任者がテレビインタビューで語っていた)という顔が出来上がる。
ひとつの作品のコアに感動がない。だからろくな作品ができない。
日本のアニメをやたらとリメークしているが、それらの作品に感動したからではない。儲かるコンテンツだと思っているにすぎない。
「ディズニーって何?」というような人(私はそれに近いが)にとっても彼女の絵は堪能できる。
特に晩年の裸婦などに感ずるものは狂気なのである。そして、ウォルト・ディズニー自身も、確かにこのような狂気に共感したのだと私は思う。むしろ愛したのだとさえ思う。