今朝の新聞に興味深い記事がいくつか。
まず、ひとつめは小さな記事だが、矢野絢也元公明党委員長の自宅に、公明党の元国会議員3名が押しかけ、100冊に上る矢野絢也氏自身の手帳を奪い去った事件について、それが事実であるかどうか双方が訴訟し争われていた裁判で、矢野絢也元委員長の勝訴が確定したという記事。
週刊現代の記事で名誉を傷付けられたとして、公明党の元国会議員3人が発行元の講談社と矢野絢也・元同党委員長に賠償などを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は1日、元議員側の上告を退ける決定を出した。元議員側の請求を棄却し、反訴した矢野氏の主張を認めて元議員側に300万円の賠償などを命じた2審・東京高裁の逆転判決(3月)が確定した。賠償命令が確定したのは、黒柳明、伏木和雄、大川清幸の元議員3氏。
同誌05年8月6日号と13日号は「矢野極秘メモ 100冊が持ち去られた!」と題し、元議員が矢野氏に手帳の引き渡しを強要し、本棚や押し入れ、妻の部屋などを家捜しして奪ったと報じた。
1審は「強奪の事実は認められない」と講談社側に660万円の支払いなどを命じたが、2審は「脅迫された矢野氏がやむなく要求に応じて手帳を引き渡した」と認定。矢野氏のプライバシーを侵害したとして、元議員側に慰謝料支払いと手帳の返還を命じた。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090902k0000m040053000c.html

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新聞の片隅の小さな記事だが、それとても今度のような選挙結果が出なければ載ったかどうか。
創価学会の組織票が、民意を国会に反映する妨げになっているとはいつも感じている。
今回の選挙で自公の選挙協力が破綻したわけだが、自民党の政治家は、民主党を寄せ集めだと批判するが、自公連立こそ野合ではなかったろうか。
靖国神社と創価学会の相互依存。
そんなことが可能だったのは、1940年体制が、デモクラシーではなくビューロクラシーだったからで、有権者は事実上政権選択に関与していなかった。
ところで、選挙の日のブログに
「自民党に死刑宣告するつもりで」
投票に出かけたと書いたら、その日の自動リンクに「小泉、死刑、竹中、死刑」というキーワードの検索が引っかかってきた。
どうやら自民党支持者の中には、この衆院選の敗北までも小泉純一郎と竹中平蔵のせいにしたい人がいるらしい。
そういえば、麻生太郎の最後の弁明の中にも「自民党に対する積年の不満を払拭できなかった」というくだりがあった。「俺のせいじゃねぇ」といいたいわけだ。
麻生政権は、改選前300の議席をあずかっていたはず。国民に給付金をばらまけたのもそのおかげ。
300という議席を預けた国民の何をさして「積年の不満」といっているのか?麻生太郎にとっての国民って、いったい誰だったのか?
麻生太郎にとっては、300という議席を預けた<しもじものみなさん>は国民のうちに入らないのだろう。
小泉純一郎と竹中平蔵を批判している自民党支持者の多くが、森喜朗から麻生太郎へ、小泉改革なしで、政権が受け継がれたらどんなによかったろうと<本気で>考えているらしい。
私にしてみれば、考えるだけでも身の毛がよだつような話だが、どうやらそういう思考回路の人がけっこういるらしいということは、以前「鎖国の民」について書いたのでここでは繰り返さない。
そういう人たちは永遠に「昔はよかった、昔はよかった」といい続けて生涯を終えるのだろう。
もうひとつの記事は、最近、マルクスが再評価されているという記事。
このところ「マルクス」とか「資本論」という文字が表紙を飾る書籍がぞくぞくと出版され、売れ行きも好調なのだそうだ。
佐藤優の『私のマルクス』』なんて、たしかにちょっと食指が動く。

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近代経済学が現在の現象を分析できなくなっているが、マルクスを使えば資本主義を極めてよく説明できる。『資本論』を虚心坦懐に読めば、社会主義論はまったくない。革命よりも、資本主義がどのような地獄絵図を生み、それをどう解消し、社会をよくするかを、マルクスは強靭に思索した
いまマルクスを読むことの意味について
グローバル不況を起こした金融工学というバーチャルな金ではなく、マルクスは貨幣や資本、信用が人間と人間の関係であることを示した。危機は人間の力で解決できることをマルクスは教えてくれる。
ソビエトが崩壊し、ベルリンの壁が壊れたころ、新聞には、大学の近代経済学者たちの、それこそ勝利宣言とでも言うべき記事が踊っていたものだった。
「ざまあみろ」「それみたことか」という感じが紙背に透けて見える感じが面白くて、当時、スクラップした記憶がある。
マルクスがまた復活するなんて、当時誰が予想できただろうか。
時代は変わる、まったくね。
今、当時のスクラップを引っ張り出して見ていた。「社会主義国の行方」と題された何人かの知識人による連載寄稿記事であった。
でも、それより面白い記事をみつけてしまった。
今度の選挙で落選が伝えられた、海部俊樹が総理になった衆院選をイギリスのインディペンデントが評した記事。
・・・国政はもっとも実力のある企業家たちと結託したエリート官僚によって営まれてきた。
こうした伝統は「使えるうちは直すこともない」といったシニカルかつ現実的な政治観を生み出した。選挙戦は、知性が欠如したまま、ドブ板選挙と地元への利益誘導というレベルで展開された。・・・
「使えるうちは直すこともない」(?!)
でも、使えなくなったら直さないと。