はやいもので、選挙からもう10日。
私の選挙区では、麻生太郎の盟友、甘利明行政改革担当大臣を、民主党の新人が打ち負かした。それから10日、どういうわけか自民党の選挙ポスターだけがいまだに雨ざらし。さらし首の意味合いなのだろうか。麻生太郎と甘利明の写真の下に「私が先頭に立つ」と書いてある。
各メディアもそろそろ選挙ネタを出しつくした感があるが、週刊誌のレギュラーコラムが選挙結果にふれるのは今号から。氷の溶けたぬるいコーラみたいでどうにもしまりがない。
選挙の日の深夜の番組冒頭、田原総一郎が
「日本人は郵政選挙といい、今回といい、あちこち変わりすぎるのではないか」
とか苦言を呈していたが、郵政選挙も今回の選挙も、官僚支配からの脱却という視点に立てば、同じ結果だと思う。
去年の年末にこのブログにこう書いた。
日本のどこが格差社会なの?
格差のない社会は存在しないに決まっている。しかし、日本ほど格差の少ない社会ってそうそうないというのが世界的常識だったでしょう。ゴルバチョフが来日したときに、「日本は最も成功した社会主義国だ」という名言を吐いた。あの時と今とどれほど違うというのか。
むしろこの平等な社会に吸い付いた役人というヒルが、肥大しすぎて限界を超えているのが、現状の最大の問題点だと思う。っていうか、みんなそう思っていたはずだ。
っていうか、いうまでもなく今でも普通の人たちはそう思っているはずだ。というのは、郵政民営化、骨太の方針、等の改革路線をくつがえそうとする麻生政権の隠された意図が明らかになると同時に、内閣支持率が急落したからだ。瞬間冷凍とでもいいたいくらいの零落ぶりである。
この支持率のグラフを見て漢字の勉強をしようとか思ってもらっては困る。
これはやはり1940年体制といわれる過去の最大の負の遺産、日本の官僚体制を抜本的に改革することを国民が望んでいるという意思の表明なのだ。
ウソのようだけどホントなのだ。
小泉政権の人気を支えたのは、揶揄されたような、ポピュリズムとか劇場型民主主義ではなく、(それなら麻生政権にもじゅうぶんに素質があったはず)改革への期待なのである。
そして、選挙の前にこう書いた。
渡辺喜美が言うように、麻生太郎が「時計の針を巻き戻してしまった」ために、今回の選挙は、脱官僚か否かという選択を問う選挙になってしまった。
だとすれば、答えは決まっている。郵政選挙で国民が示したのは、戦時下から営々と続く官僚支配のシステムをなんとか打破しなければならないという危機感だった。
であれば、今度も同じ答えが出る。マニフェストの細かな文言、財源の有無、そんなことは問題ではない。もう十年も前から、今のシステムは機能しなくなっている。国民はとっくにそう感じているのだ。
今回のことを1955年体制の終焉ととらえるのは間違っている。それは、もう細川政権誕生のときに経験済み。
しかし、細川政権は1955年体制の後ろにいた本当のボスキャラ1940年体制に敗退した。
そして、今まで正反対の理念を掲げていた自民党と社会党の二大政党が、突然合体して、世にもおぞましい自社さ政権が誕生したが、政策はそれまでとなんら代わり映えしなかったことは、日本に政党政治が存在せず、事実上の政策は官僚が仕切っていたことを、政治家自らはっきりと証明することになった。
つまり、政党政治の仮面をはぎとって、官僚支配の正体を国民の前にさらすことだけで細川政権は散っていった。
先の日曜日テレビに出演していた野田佳彦は、自身のことを
「いわば細川チルドレンですから・・・」
といっていたのが感慨深い。そのとき細川政権がまいた小選挙区制という種が、いま政権交代という果実を実らせた。
そういう意味で、もはや機能しなくなった1940年体制が瓦解していくプロセスとして、細川政権以来の大きな流れのなかで、物事を理解すべきだろう。
宗教改革に譬えれば、ルターやカルヴィンなどの外側からの改革が自由党や民主党だとすれば、イエズス会などの内からの改革が小泉構造改革だったといえるとおもう。
だからこそ、小泉政権の初期、鳩山由紀夫が小泉純一郎にエールを送ったこともあった。大顰蹙を買ったが。
私が懸念しているのは、政権交代したのはいいが、きちんと政策の違いをかかげる二大政党がなければ、かつての自民党と社会党の55年体制に逆戻りするだけだということ。
今回の自民党のマニフェストは後出しジャンケンといわれた。自民党の政策が民主党のパクリになってしまうことが、とりもなおさず、自民党がもはや55年体制の残滓にすぎないことを証明している。
今までの自民党の支持者のほとんどが政官業の癒着構造に依存した利益団体にすぎないのだとすれば、高度経済成長が破綻した今、自民党の支持者とは、失われた時代を懐かしむだけの後ろ向きの連中だけということにならないだろうか。
だから、もし自民党が、小泉純一郎と竹中平蔵が目指した、徹底した規制緩和による自由な競争社会をめざさないとすれぱ、自民党はロシア共産党のような存在になるしかないだろう。
今後、「政治主導=民主党」か「官僚主導=自民党」かという選択肢しか国民が持ちえないとなると、民主党政権下では、官僚は常にサボタージュし続けるという悪夢が待ちうけるだろう。
だのに、いまだに自民党が負けたのは、小泉竹中のせいだと言っている人たちがいるらしい
どう考えても根拠のない「小泉改革で格差が広がった」などいう官僚のプロパガンダに振り回されるのはもういい加減やめた方がいい。
小さな政府と大きな政府の間で政権交代を繰り返しつつ軌道修正しながらあるべき道を目指していかないと、政権交代をした意味がない。
鳩山由紀夫が口にしている「友愛」は、おそらくフランス三色旗が意味しているという「自由・平等・友愛」を意識しているのだろう。つまり、小さな政府による自由か、大きな政府による平等かという対立ではなく、精神的な価値観で協調しようといっているように聞こえる。だが、今の段階でそれをいうと、早くも官僚と馴れ合おうとしているように聞こえる。今はまだ官僚と対決する姿勢を持ち続けてもらいたいと思う。