ラグジュアリー:ファッションの欲望

東京都現代美術館で、ラグジュアリー:ファッションの欲望という展覧会。
京都国立博物館の企画の巡回で、内実は、京都服飾文化研究財団といういかがわしい感じの団体のコレクション展。
うわさには聞いていたロココ時代の貴婦人が頭に載せていた軍艦も見ることができる。この時代の貴族の服を見るとさすがにあほらしいと思える。「贅沢とは貧乏の反対語ではなく、下品の反対語なのです」とココ・シャネルは言ったそうだ。
今回この展覧会に出向いた目的は、コムデギャルソンの川久保玲
よくは知らないものの、川久保玲の服は、いま、頭ひとつ頭抜けているというか、一歩先をいっていると思う。
よい絵と同じように、見るものに投げかけるものが大きいのだと思う。なにか挑まれているような感じがする。服であることとアートであることが高い次元で止揚しているのだと思う。
コムデギャルソンは特別展示であるらしく無料で見られる。わたくし、まずコムデギャルソンの展示室から入って、そのまま企画展のほうに行こうとしたら、美術館の女性に叱られてしまった。あの人たぶんちょっとSだと思うな、スーツの感じといい。
ちなみに、井上雄彦の「バガボンド」の巨大な水墨画も展示されている。あれも、今日からだろう。井上雄彦は上野から美術館づいている。おもわず「絵がうまいな」とつぶやいてしまって、失礼なこといったなと苦笑いした。水墨であんなふうに水の透明感と躍動感が描けるのはたいしたもんだと思う。
現代美術はややこしいのは確か。常設展のある作品をソファと間違えて座って叱られていた人がいた。あれはでもすわられても仕方ないと思う。その横には、すわってくださいと書いてある作品もあるんだし、ややこしいよ。私が座らなかったのは、あれはもうずいぶん長い間展示されていて、はじめて見たころに較べたらずいぶん薄汚れてきているのを知っているから。
現代美術のあるものは保存が難しいだろうし、同時に、再現が簡単だろう。実際、すわられていた作品をぽんぽんたたいて直していた。クッションみたいなもんだ。ゴッホの絵だとそうはいかない。
常設展にデビット・ホックニーリトグラフがいくつか。「ガラス付きの額に入った無意味な抽象画」というタイトルの絵が一点あって思わず笑った。笑うとこじゃないのかもな。でも、面白かったから。ホックニーの絵はいつも新鮮だ。
日が暮れるのが早くなった。明日は天気が崩れるというのは本当だろうか。月が皓々としているのだけれど。今日展覧会で見た関思の月夜行旅図を思い出させるほど。