共同幻想論

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

晴れていたら紅葉の見納めに、また、鎌倉を訪ねるつもりだったけれど、だんだん曇ってきたので読書。
中上健次が解説にこう書いている。

正直1968年に現れそれから十三年後1981年暮の今に改めて読み直してみて、文学は、この『共同幻想論』一冊で息の根をとめられていたのだと気づくのである。

1968年に、この本がすでに存在していたことに驚いている。いささか遅かったけれど生きているうちに出会えたわけだからまあよかったとしよう。
序文が三つついているが、文庫のために書かれたいちばん新しいものが、いちばん簡潔で魅力的なのがすごい。

 もともとひとつの本は、内容で読むひとを限ってしまうところがある。これはどんなにいいまわしを易しくしてもつきまとってくる。また一方で、著者の理解がふかければふかいほど、わかりやすい表現でどんな高度な内容も語れるはずである。これには限度かあるとはおもえない。そこで著者には、この内容に固執するかぎり、どうやってもこれ以上易しいいいまわしは無理だという諦めと、この内容をもっと易しいいいまわしであらわせないのは、じぶんの理解にあいまいな個所があるからだという内省が一緒にやってくる。この矛盾した気持のまま、いまこの本を読者のまえにさらしている。

同じ著者の『柳田国男論・丸山真男論』『カール・マルクス』を読んだ時に、なんとなく、パズルのピースがここにあるなと予感させていた。そのことまでふくめてすごいと思う。
中上健次はこう結んでいる。

共同幻想論』は画期的な書物である。さらに同時に、思想が文学を死滅させ解体させたはじめであった。私は多大な影響をこの書物を中心とする吉本隆明の著作に受けた事を確認し、共同幻想から現れ出た物語が輪舞するのをただ追うばかりである。世の中にこのような魅力をたたえた書物はそうざらにない事をつけ加えておく。

おどろくべきことは、1968年に書かれた書物がたったいまのことを見事に描き出してくれていることだ。
たとえば、「憑人論」にはこういう一節がある。

 速水保孝の『つきもの持ち迷信の歴史的考察』によると<憑き>筋には二種類あって、ひとつは個体がじぶんで生き霊に憑いている家筋であり、他のひとつは、狐や、犬や蛙などの動物や外道に憑いている家筋である。そしてこのふたつの憑き筋は、いずれも外から共同体のうちに移住したもので、しかも財力にめぐまれたものにかぎられており、これが共同体のうちで土着する村民からねたみと反感をうけてね憑き筋として吹聴され排せきされるもので、その要因は経済社会的なものだとのべている。
 たとえば、村の娘が発作的に精神異常を呈したとする。すると巫覡的な人物がまじないをやると、狐持ちの何某の家の狐が憑いているから異常をきたすのだと託宣をくだす。もっと極端になると精神異常をきたした人間が狐のかっこうをして這いまわったり、狐持ちの家へ発作的に走りこんだりして、その家の狐が憑いていることを明らさまにしめしたりする。

こういうことが集落の外から来たものに対する意図的な嫌がらせとしてでなく、集落の共同幻想として共有されることが重要なのだと思う。
誤解されないように言っておかなければならないが、これは、この本のホンの断章にすぎない。
ただ、私はこのことがずっと心の片隅に引っかかってきていたので、この部分がすごく印象的だったのである。
狐憑き’などの迷信が、けして遠い昔のおとぎ話と突き放すことができないのは、『世間とは何か』の阿部謹也が‘くがたち’について書いているのを読んだときに、日本人の倫理観が中世以前からほとんど変わっていないのに愕然とさせられたことがある。それは、イラク人質事件のあの人質バッシングのことである。
速水保孝の描いたこの‘狐憑き’が、集落に新来の家に暴れこむ描写が私の心に思い浮かばせたのは、『朝まで生テレビ』の貧困をテーマにした回に、ひとりで暴れまわった森永卓郎の姿だった。
彼は、あるいは彼に共感する人々は、新しいものが入ってきて、価値観が変化することに極端に弱いのだろう。
このブログにあのときの森永卓郎をとりあげたとき、奇しくも「何かにとり憑かれたような・・・」と書いたはずだ。今にして思えば、‘ような’ではなく、文字通り‘とり憑かれ’ていたのだし、おそらく今もとり憑かれているままだろう。
格差社会」がどうたらこうたらという小泉竹中批判も、どこかの掲示板のオハコであるらしい‘ブログ炎上’とかいうものも、ほとんどこれで説明がつきそうである。批判にさらされることのないせまい共同体のなかで、歪んだ共同幻想が育まれてしまったとするとどうだろうか。
格差社会」というワンワードで小泉純一郎竹中平蔵推し進めようとした構造改革を批判する人たちに言っておきたいけれど、格差のない社会なんて存在しないし、小泉竹中改革以前には格差が存在しなかったかのように思っているのがとてつもなく滑稽だ。
それは、その誤解が滑稽であるだけでなく、その誤解がどこから来ているのかがあまりにもはっきりしているために余計に滑稽なのだ。
それは、野口悠紀雄がいう‘1940年体制’、妙技浩之がいう‘庇護社会’から抜け出すことのできない精神の脆弱さのほかに根拠があるとはとても思えない。
本来、高度成長はそれ自体で格差を生む。1940年体制はその解消のために、生活者ではなく、供給サイドに手当てをした。具体的にいえば、三ちゃん農業やジジババストア、そして地方に乱立する土建屋に高度成長のうわずみをばら撒いた。
そのため、本来動くべき労働市場が固定され、新しい産業が育たなかった。政官財の癒着が強固になり、生活者に届くべき手当てが中抜きされる仕組みが出来上がってしまった。
そんな状態でなんとか格差が是正されていたのは、アジアの中で日本だけが一歩も二歩も先んじて近代工業化していたからであり、冷戦構造の中でアメリカの核の傘の中にすっぽり守られていたからに過ぎない。
高度成長が終わり、冷戦構造が壊れてもまだ、その甘えの中にひたっていたいという思いはあまりにも惨めだと思う。
格差というが、日本の長い高度成長期、他のアジア諸国と日本の間にあった格差こそまぎれもない格差であったはずだ。そのころ、一億総中流社会などと称していた時代、アジアの貧しさの上に自分たちの繁栄が築かれているという事実には、目もくれなかったはずである。
小泉竹中バッシングの人たちが同時に国粋的である事が示す意味は絶望的である。
小泉純一郎竹中平蔵が手を付け始めた構造改革だったが、軌道に乗り始める前に‘狐憑き’に暴れこまれてしまったと、私には見える。