今年最後のフルムーン

knockeye2009-12-02

わたくし今まで何度も書いてきているとおり、仕事が終わって、ひんやりした暗い部屋に帰る瞬間が大好きという、年季の入った‘おひとりさま’である。
しかしながら、ときたまではあるが、わけもなく、(というか、わけのいえない)パニックに襲われることもある。‘おれいまパニクってる’と思いながらなすすべがない。そういうとき、誰かそばにいてほしいと思うわけではないのだ。むしろ、‘よかった、だれもそばにいなくて’と思う。ただ、‘ひとりなんだなぁ’とは思う。
今日は、月が皓々と明るく大きく見えた。今年最後の満月だそうだ。
夜の明かりの乏しかった昔の人にとっては、月の明かりはありがたかったんだろうな。
京都の北山通りに住んでいたころ、夜中にきらら坂を少し歩いてみたことがあった。自分の足許さえ見えないほんとの闇。自分の足もとが見えないと、歩いている足の感覚と、耳に入ってくる自分の足音がだんだんずれてくるような気がしてくるのな。
砂防ダムのあたりまで来ると夜景がきれいだったりした。山に登る人はあれからさらに比叡山に入れるんでしょう。今は様変わりしているかもな。
ところで、昨日、萩原朔太郎をナニしたアレというわけではないが、先週、江ノ電に乗ったじゃないですか。江ノ電に乗ると思い出す詩というのがあって、ちょっと季節がちがうのだけれど、

かわいらしい郊外電車の沿線には
楽しげに白い家々があった
散歩を誘う小径があった


降りもしない 乗りもしない
畠の中の駅
かわいらしい郊外電車の沿線には
しかし
養老院の煙突もみえた


雲の多い三月の空の下
電車は速力をおとす
一瞬の運命論を
僕は梅の匂いにおきかえた


かわいらしい郊外電車の沿線では
春以外は立入禁止である


谷川俊太郎の「春」という詩です。