「カールじいさんの空飛ぶ家」

knockeye2009-12-05

アメリカも老いたとすれば、カールじいさんとだいたい同じくらい老いたはずなのである。
アメリカの人たちはいま、まるで老人が来し方行く末を思いやるように、自分たちの人生を見つめなおしているように見える。あまりにも長く、わが世の春を謳歌してきたアメリカの繁栄も、ゆるやかに終わりを迎えつつある。

この映画に登場する二人の老冒険家(?)の態度は、アメリカの観客にとって、きっと身につまされるものなのではないかと思った。
ずっと闘ってきた。ファイティングポーズをとり続けてきた。間違っていたとは思わない。しかし、見落としてきたものがなかっただろうか。想像だけれど、たぶんそんな思いを乗せながら、カールじいさんの家はスクリーンを飛んでいくはずである。3Dのメガネごしに。

週刊アスキーにピート・ドクター監督のインタビューが掲載されていた。
実際に
「あの家を持ち上げるのに風船が何個必要か計算したら2350万個という数字が出ました」
映画で描かれている風船の数は2万個だそうだ。
また‘パラダイスフォール’のモデルとなっているのは、南米の‘エンジェルフォール’で、これも実際に見に行った。
「本当に美しい滝なんですが、写真に撮ってもその美しさが伝わらない。アーティストたちは、そのときに五感で感じたすべてのものをエッセンスとして絵に描きこみ、行って見て体験したことを伝えようとしています。」
ピート・ドクター監督は、先日、東京都現代美術館で開催されていた初期のディズニーのアーティスト、メアリー・ブレアの展覧会にもメッセージを寄せていたのだそうだった。

あの展覧会は、スタジオジブリの全面協力のもとで行われた。
「本来は資料として保管され、アメリカ国外を出ることはめったにない貴重なディズニー初期アニメーションにおけるアート作品」を日本に持ち出し、世界ではじめて展覧会を開いたスタジオジブリ。そして、そこにメッセージを寄せたピート・ドクター監督。そのコアに共通するメッセージを、たしかにこの作品にも感じることができるはずである。

去年は、ドラゴンボール、スピードレーサー、鉄腕アトムと日本アニメの、ハリウッドによる無残なリメイクが頻発した。ハリウッドと虫プロとの「鉄腕アトム」をめぐる交渉が、NHKでルポされていたが、ハリウッドの連中の目には日本アニメは札束の山に見えるらしい。アメリカの子供たちの好みを‘市場リサーチ’して、アトムの顔を作り代えようとした。「35歳のおっさんかと思った」と虫プロ側の人間が絶句する顔が出来上がっていた。
ひとつの映画を作ろうとするとき、その始まりに感動がないとき、そんなにもグロテスクなことになる。そして、そのグロテスクさに気がつかないことがもっともグロテスクなのだ。
メアリー・ブレアはディズニーのごく初期に色彩担当として働いていたが、結婚を期に退職していたのを、イッツアスモールワールドの建設にあたってウォルト・ディズニーがじきじきに指名して呼び寄せた。
このとき、メアリー・ブレアが描いたコンセプトが展示されていたが、目も眩むばかりの色の氾濫、あれはコンセプトというべきなのか、むしろ、「挑戦」というべきなのではないかと思った。しかし、当時のディズニーのスタッフはそのコンセプトをもとにイッツアスモールワールドを作り上げた。そこにあるものこそ、アートに対する尊敬と自分たちの仕事に対する矜持ではないのかと思う。目には見えないものの、それがあるからこそ今もディズニーの作品が愛され続けるはずだ。今のハリウッドにはそれがないように見える。
冒険と現実逃避は紙一重かもしれない。冒険だと思っていたことが実は逃避だったり、逃避に過ぎないと思っていたものが実は冒険であったりするかもしれない。大量の風船で家もろとも飛び去ったカールじいさんの行為ははたして冒険なのかそれとも現実逃避なのか。少なくとも、当事者でないものにとっては、その二つはほとんど全く同じものである。ただし、それが行為である以上、その果実を受け取るのは行為の当事者だけなのもたしかだ。カールじいさんが日常に持ち帰ったその果実。たしかに、本人以外には価値のないものかもしれない。