今年観た映画から

knockeye2009-12-22

年の瀬らしく、今年観た映画のベストテンとか話題に乗せたいところだけれど、‘10’という分子のためにはやや分母が少ない気がしている。
それに今年は「チェンジリング」と「スラムドッグ$ミリオネア」があったので、洋画の方では、あれこれいうまでもないというものだろう。
この土曜日に観た森繁久彌の「喜劇 駅前団地」で、坂本九が見下ろす‘1961年の百合ヶ丘’が、まるで「スラムドッグ$ミリオネア」のムンバイのようだったのをみて、胸の奥のほうが痛む気がした。
スラムドッグ$ミリオネア」について書いたときにちらりとだけふれたが、主人公の兄弟たちが間一髪で逃げ出したあの組織は、けして架空のものではない。
映画向けに脚色されているとしたら、むしろ、残虐さを薄めてプロットを破綻させないようにしている。
インドの実態はあんなものではないということは、石井光太の『物乞う仏陀』を読んでもらわなければならないだろう。
著者のオフィシャルウエブサイトがあるのでリンクして少し引用する。

 で、どんどん調べてみると、「手足の切断」についての証言がでてきたんです。 本音をいうと、はじめは「ウソ」だと思っていました。インタビュー料を欲しいばかりに大袈裟な話をしているんじゃないかって。
 しかし、誰に聞いても話の内容が一致するんです。手足を切断する年齢とか、コロニーの場所とか、誘拐される子供の数とか。
 調べれば調べるほど、真実としか思えなくなってくる。
 この時は、本当に参りました。不眠症に陥って、食事がまったくのどを通りません。歩いていても、ボロボロ涙がでてくるんです。
 明らかに自分でも頭がおかしくなっていると思っていました。
 たぶん、日本に連絡して愚痴の一言でもいえばだいぶ気持も紛れたでしょう。 しかし、当時僕はだれにもこんな取材をしにいくとは言ってませんでした。周囲の人には「遊びに行く」といって出て行ったんです。
 というのも、その時僕は単に脱サラをしたばかりの25歳のガキんちょです。出版のあてもまったくありませんでした。とにかく、後先考えずに飛び込んで行っただけだったのです。
 だから、偉そうに「実は取材をしていて」とか、「本を書きたくて」なんて言えませんでした。言ったところで、「25歳のガキんちょが書いたアジア旅行の話なんて誰が読むんだ」といわれるのがオチだったからです。
 で、一人で毎日何十回と涙を流しながら、せっせと取材をした。それが、本のラストの話になったのです。

石井光太には『絶対貧困』という著書もある。一日一ドル以下で暮らしている人たちをそう呼ぶのだそうだ。
私はこの日本を「格差社会」と名付けて、その「格差社会」になったのは、小泉と竹中のせいだと吹聴してまわっている連中を全く信用していない。
「貧困」をテーマにした「朝まで生テレビ」で、雨宮処凛がこういう話をしていた。
ある男性からメールがきた。
いま、インターネットカフェにいるが、その料金さえ払えないので助けに来てほしい。
それで、彼女がそのネットカフェに出向き、料金を払って助けてやった。
これは果たして‘貧困’の問題なんだろうか?
この男には、たよるべき親兄弟も親戚も、友人も、元同僚もいなかったのだろうか?
あるいは、一日一ドルを稼ぐだけの仕事も見つけることができなかったのだろうか?
貧困も問題の一面であることは否定しない。しかし、問題の本質は別にあるような気がして仕方がない。
私は、大学をドロップアウトしたあと、世間に背を向けて、地を這うように生きてきたと思っている。ずいぶん惨めな思いもした。何度か書いているように、引きこもりになって一年以上も部屋を出られなくなったこともあった。
だからこそ言うのだけれど、問題の本質はおそらく‘貧困’ではないと思う。
日本人は‘格差過敏症’なのだろう。
日本の上空には、皆が送っているに違いない‘フツーの平均的な暮らし’というものがぽっかり浮かんでいて、自分の暮らしがそれからすこしはずれるとどうやって生きていっていいか分からなくなってしまう。
きっと日本人は、‘フツーの仕事’につけないくらいなら自殺することを選ぶ。日本人なら、このことは実感として分かるはずだ。
わずか二ヵ月半という短い期間だったが、私が日本を飛び出してロシアをバイクで旅した後、何かを手に入れることができたのだとしたら、それは‘日本のフツー’を客体視できるようになったことだろう。
繰り返しになるけれど、私は日本を「格差社会」と呼ぶ連中を全く信用しない。日本はむしろ「格差過敏社会」だと思う。