ターナーから印象派へ

knockeye2010-01-17

府中市美術館に
ターナーから印象派へ − 光の中の自然」
と題された展覧会を観にいった。
ターナーは昔まとめて観たことがある。今回のターナーは小品ばかりなので、ターナーらしいドラマチックな風景画を期待すると当てがはずれるだろう。
気に入ったのはエリザベス・アデラ・フォーブスの
<ジャン、ジャンヌ、ジャネット>

押し車に腰掛けた女性のおだやかな顔に心惹かれる。
去年の静嘉堂美術館の<羅漢図>(伝・禅月)が脳裏に浮かんだ。実った枇杷の木の下で座禅を組む水墨画の羅漢が、英国の少女と重なり合うのは不思議なようだが、あの羅漢の絵は、この絵に集中するほど、思い浮かんでくる気がした。
おだやかな顔には、画面全体の緑色の諧調と同じほどに豊かな精神性が蔵されているように思えた。遠い過去から未来まで、一目で見渡せる山の頂に座っているかのような。
ピエール・ボナールの<ル・カネの棕櫚>という絵もあった。
ボナールはずっと気になっている画家である。
ボナールは油絵の画家ではなかったのではないかと、そんな気がして仕方がない。まるで絵の具を光のように使っている。
色彩は対象に属しているが、光は対象と見る者との関係として存在する。
だからボナールが、棕櫚の葉に移ろいゆく光をとらえようとするとき、その絵には棕櫚だけでなくボナールも描かれている。ボナールは観たままの棕櫚を描こうとしているが、その棕櫚を見せようとはしていない。そうあるべきか。そうあるべきでないのか。それとも同じことか。
考えさせられる。