斉藤真一

斉藤真一の絵は、魚津に住んでいるころ、滑川の美術館で一度まとめて観たことがある。それ以来、とくにその瞽女をテーマにしたものには魅了され続けてきた。
寒々と凍てつくような朱色がこの人の絵の特徴だと思う。
冬の日本海を知っているものにとっては、この人の描く冬景色は、写実的な絵よりももっと、あの地方の冬そのものだと思える。
山形の天童市に個人美術館があるが、そうそう出かけられるところでもないし、本もネットで探しても手に入れにくいので、エッセーを二冊手に入れて帰った。
吉祥寺美術館というところで開かれているのだが、入場料がわずか100円。消費税の分、100円ショップより安い。なのでちょっと奮発した。
斉藤真一という人は面白い人で、1959年に渡欧し、現地でバイクを買って欧州縦断ツーリングを敢行。そのとき、レオナール・フジタを訪ねて親交を結んでいる。
展覧会場に写真があったが、モビレットという小さなバイクだ。賀曽利隆の時代とも重なっているのではないか。
自由ということについて考えてしまう。
自由な人間は、時代に関わりなく自由なのだし、自由でない人間は、すべてのくびきから解放されて放り出されても、また多勢でかたまりあってお互いを縛りあうことを選ぶのではないだろうか。
目録の表紙にこんな言葉が紹介されている。

こんなものが
油絵の世界の中にあるものかと思われるもの
どうしても絵にしてはならないものが
私の画材であるのかもしれない。
だが私は反逆児ではない。
そのようなものが
私の本当の世界なだけだ。

とても印象的だ。
七十年代後半にはじめてパリで個展を開いたときは、大変な盛況で、初日に十点もの絵が売れたそうだ。
そのとき、こういわれたそうである。
「はじめて奇麗事でない日本の絵をみた」

なお、ここに貼り付けた絵はすべて展覧会のHPから引っ張ってきた。どうもスキャナーの調子がよろしくない。