「フローズン・リバー」

knockeye2010-05-10

日曜日、「フローズン・リバー」を見てきた。ジャック&ベティで。
凍てつく河それ自体が寓意だということだってできる。いわないけど。
誰もがクリスマスを祝うけれども、とっくに信仰の死んだ国。しかし、もし神がいるなら、その国の大河を凍らせてしまうのも神であるはずじゃないかというような意味で。
でも、この映画を魅力的にしているのは、凍りつく大河だと思う。
助手席のライラ(ネイティブ・アメリカンの女)が「造物主だ」という。「これをしたのは私じゃない。造物主だ」と。しかし、主人公の女は黙るしかない。何も言えないし、何も考えられない。目の前で奇跡が起こったのは確かであるとしても、それを古びた宗教に結びつけることはできない。当のライラにしても、いいたいことは「わたしじゃない」ということなのである。それを言わせているのは、信仰ではなく、凍てつく河なのだと思う。
映画『フローズン・リバー』