古屋誠一 メモワール.

鎌倉から恵比寿に着いても、東京都写真美術館の開館までまだ間があった。どれほど早起きしたか分かろうというものだ。おなかが空いたので、恵比寿で二度目の朝マックをしてしまった。
古屋誠一の写真は、‘私小説’を思わせる点からもひどく日本的だが、ヨーロッパの生活の中でことが起こっていて、被写体となる彼の妻クリスティーネが、日本人ではないことが私小説とちがっている。
近代の日本でなぜ私小説が繁栄を極めたのか、それは、私たちの文化の上にキリスト教という強大な宗教が重石としてのしかかっていなかったからではないかと、日本風の戒名が書かれたクリスティーネの遺影を見ていて、そんな考えが浮かんだ。
不倫をしたり、あるいは逆に女房に不倫されたりしたとき、そのことが最大の関心事になるのは当然のことのようだが、ヨーロッパでそれが私小説にならないのは、キリスト教という重石が、それをそのまま個人的な事件とさせてくれないのではないか。神の視点がそれを普遍化させてしまうのではないか。
1970年代、日本の近代ももはや終わり始めているころ、ヨーロッパへ生活の足場を移した日本人カメラマンが、妻の自死に遭遇して、そこからもう一度妻と自分の関係を見つめ直してみようとするとき、その方法論が、一見、私小説に似て見えるのは、鑑賞者である私が日本人であることが大きいのだろう。
古屋誠一のメモワールがふと私小説を思わせるとしても、その表現方法が小説ではなく写真であるかぎり、それは比喩的にに過ぎない。
私小説とちがい、写真は記録の残酷さで、つねに記憶の更新を迫るだろう。一度シャッターが切られれば、無機的なレンズが視野角にあるすべての光をとらえる。そこにはある意味で神以上の公平さが保証されている。
古屋誠一は「僕は写真家ではない」
といい、また、
「多くの写真家や写真を使って表現を志すひとたちは、まず何を撮りたいのか、表現したいのかなどとテーマを決めてから撮影を始めますが、僕の場合は少し違っていると思います。・・・まず写真や経験などが先に在ったということで、シリーズやタイトルのために写真が撮られたということではありません。」
とも語っている。
「写真が先に在った」というまるでヨハネ福音書のような言葉が、古屋誠一の写真のありようをよく伝えていると思う。
撮影したフィルムは撮影日を記入したあと、未現像のまま冷蔵庫にしまってしまうのだそうだ。そして、展覧会や出版の前に初めて紙に焼き付ける。
しかし、それでは、これらの膨大なクリスティーネの写真を、クリスティーネ自身はほとんど目にしなかったということなのだろうか。
彼女の自死というかたちでこれらの写真に句読点が打たれてしまった後に思うと、それが彼女にとって残酷なことであったように感じられる。
被写体としての彼女は、表現者として自己完結することができなかった。だからこそ、被写体としてでない彼女が‘写真として’在り続ける。
そういった内省と表現の分離の痛々しさが、古屋誠一の写真が放つ強烈な魅力なのだろうと思った。