福島瑞穂罷免

私が沖縄県民なら、今回の福島瑞穂罷免のことは一生忘れない。
鳩山由紀夫が、私の半径3m以内にいれば刺し殺してやれたのだが。
昭和天皇がアメリカに沖縄を差し出したように、日本政府はまた沖縄を売った。
沖縄県民は日本人なのである。日本政府が日本人を売った。恥ずかしくて仕方がない。
戦争末期、沖縄の人たちを殺したのはアメリカ軍ではない。

・・・朝はみんな水汲みにいったんですよ。すると新下茂の甘蔗殻の上で、うちの子供ら二人が、‘姉さんよう!’といって泣いていたんですよ。この子供たちは、前新川小の門のところでやられて、這ってきたらしいんです。
 一人ずつつれて来て寝かしてから、‘お母さんはどうしたか’といったら、お母さんはやられて、あそこで死んでいるはず、セイユウはこの辺で死んでいるはず、と言ったんです。
 ‘どうしてお母さんはやられたか’ときいたら、日本の兵隊が来て、‘ここは何名いるか’と訊いたが、お母さんがあんまり口が利けないもんだから、‘フィフィ’と言ったんです。‘ハイハイ何ですか’という意味ですが、だが、すぐ斬ったらしいですね。
首がユキ姉さんの上に飛んでいったので騒いで、私のすぐ下の妹が弟をおんぶして逃げて、私のところへ行こうとしている途中で、前新川小の門の内にひっぱられてですね、弟をおんぶしている妹を刺したから、妹は手を放したらしいんです。
妹のほうはですね、三ヶ所刺されていまして、腸があちらからも出てこちらからも出ていましたが、弟のほうは、うんと強く刺されて長く斬ってですね、これは、腸がばらばらに出ておったんですが・・・

前田ハルという人が証言した、アメリカの接近を目前にした日本兵の様子。
このあと、ハルは母親の死体を捜しに行く。

お母さんを見たら、私はたまらなくなって、兵隊たちに反抗したんですよ。
‘なぜこんなにしたか’
と言ったんです。
‘戦争だから仕方ない’
と言っていました

今週号の週刊文春に、小林信彦が5月25日の東京大空襲のことを書いている。

 こうして、ルメイ少将=アメリカは<大量兵器による無差別爆撃>の時代に入ったのであり、八月六日の広島原爆投下と八月九日の長崎原爆投下はこの延長線上にある
(略)
 日本政府ははるかのちにルメイ少将に勲章を出している。一九七八年三月にNHKが放送した特番「東京大空襲」では、テレビのスタッフが南カリフォルニアのルメイの家を訪れて、勲章の写真を撮りたいというと、「勝手に撮れ」と言い、「日本人ジャーナリストはきらいだ」とインタビューを拒否する。
(略)
五月二十五日というと、思い出すのはゴウマンきわまるルメイの顔である。

まるで、日本が<大量兵器による無差別爆撃>をしていないような口ぶりだが、日本軍の重慶爆撃は、イギリス空軍のベルリン爆撃より一年三ヶ月も早い1939年の5月3日である。もちろん、東京大空襲は、はるか先である。25日の東京大空襲を思い出す前に、3日の重慶爆撃を、少なくともこころの片隅にでも、なぜ思い出さないのか。「ゴウマン」なのは誰だろうか。
結局、戦後半世紀以上も、自分たちの戦争責任をあやふやにしてきたその意識が、日本の政治の幼稚さそのものだと思う。
5月3日、4日の重慶爆撃「五・三、五・四空襲」の現場に居合わせたセオドア・ホワイトの証言。

 この殺戮に関して重大なのは敵のテロの目的である。南京と上海はすでに爆撃されていた。しかしそれは軍事上の爆撃だった。それに対し、重慶の古壁の中には、軍事目標は何一つなかったのである。
(略)
 その後、わが軍が日本軍を攻撃するようになっても、私はいささかも良心の呵責を感じなかった。

重慶の市街地は、日本軍によって「平らになった」といわれたそうである。
小林信彦は戦時下の少年だった。だから、実感として被害者意識を持っていても仕方がないと思う。
しかし、世界中の誰ひとりとして、日本を戦争の被害者だとは思ってくれない。このことは自覚しておくべきだろう。
それから、上に挙げた重慶爆撃に関することは前田哲男の『戦略爆撃の思想』に

戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島

戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島

沖縄のことは、ノーマ・フィールドの『天皇の逝く国で』に
天皇の逝く国で

天皇の逝く国で

よっている。