- 作者: 色川武大
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1990/01/29
- メディア: 文庫
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もちろん、和田誠が監督した映画「麻雀放浪記」の原作者、阿佐田哲也でもある。
阿佐田哲也の名前で博徒を描いた小説のほうがたぶんずっと面白いのだろうけど、私小説としか言いようがないこの短編集は、そうした娯楽色の強い小説の陰翳として存在しているのだろう。
明治生まれの退役軍人の父の存在が非常に興味深かった。
父と子、あるいは、兄と弟のあいだに存在する‘貸し借り’の感覚は、日本人である私にはとても分かりやすいが、はたしてこれはこの国の外でも流通しているものなのだろうかといぶかしく思った。
貸し借り’の感覚には、絶対的な価値観が存在しない。だから、その貸し借りのありようによっては、真逆の価値観を同一人にもたらすかもしれない。そして、たぶんそれを矛盾なく受け入れてきたのが日本人なんだと思う。
戦争で海外に出ることは、貸し借りの関係から逃れ出ることを意味するから、そこでは価値観の縛りを失って、どこまでも下卑た行動をとってしまう。
またこういった貸し借りの微妙な機微を延々と描いた私小説が受け入れられたのも、絶対的な価値観よりもその機微のほうが日本人にとって重要だったからなのかもしれない。
丸谷才一が指摘していた‘互酬’という感覚とか、日本人の価値観は相対的な人間関係の中で揺れ動き続ける。
しかし、それだけしか価値観を持ち得ないのだとすれば、いったん引いた目で観たとき、つまり、絶対的な価値観から見直して観たとき、どうにも困ったことになるとおもう。
色川武大も、阿佐田哲也というもうひとつの人格を作らないとバランスをとることができない。そのことを踏まえたうえでのこの私小説なんだろうと思う。