観じる民藝

デパートの中にある美術館は、比較的遅くまでやってくれているので、こういうときに重宝する。
今は、<観じる民藝>と銘打って、日本民藝館学芸顧問の尾久彰三てふひとの収集品を展示している。「オクショウゾウ」ではなく、「オギュウシンゾウ」と訓むそうだ。富山の人。
富山を離れてもうずいぶん時が経った気がする。まぁ、富山に本社があるので、周りに富山弁がとびかってはいるのだけれど。
富山は、冬の暗さと長さに耐え切れなかったけれど、こちらに来てみて、鎌倉なんかよりむしろずっと風情があった気がする。鎌倉みたいにコンパクトにまとまってはいないけどね。
ああいう町の人が、民藝運動なんてしているのは、いやみがなくていい。むべなるかなという感じ。
入口あたりに置いてあった青い染付けの鶴と朝日のお皿とか、金泥で欠け継ぎしてあるのとかすごくよかった。
詳しくは知らないけど、民藝と骨董は微妙に違うのだろう。昭和のハンガーとか鍋敷きなんかまで平気で並べられていたけど、それもすごくいい。
焼き物は日本や朝鮮半島のものだけでなく、イギリス、スペイン、アメリカの先住民のものなどもあったけど、こういう時を経た日用品の美しさにはゆるぎないものがあって、アカデミズムに媚びを売っている類の芸術品は足許にも寄せ付けない。
絵では、李朝の虎はやはりよい。
この虎を、たとえば、明治時代のだれそれがパリ万博に出品したとかいう絵と並べてみればよい。ワケもなく恥ずかしくなってくる。
<月下白梅図>の前では思わずほほがゆるんだ。
この画題では、若冲や芳崖のものが脳裏に浮かぶし、あのほうがいいのだけれど、それにしても李朝の絵は、少しくらいうまく描こうとか思わなかったものなんだろうかと不思議に思う。おおらかにもほどがある。
出口近くにおいてあった木製の狛犬がチョーかわいい。
室町時代とか書いてあったかな、小さめのフレンチブルドッグくらいの大きさで、威風堂々とはまったくしていなくて、門の中からおそるおそる覗いている臆病な飼い犬みたい。人が通ると反射的に吠え掛かって、あとから「あ、すいません」みたいな顔する犬がいるけど、むしろあの感じ。
欠損した左の前足は、往時はきっと宝玉かなにかをふんまえていたのだろうが、今は小さいおちょこみたいなのをそえられていた。
帰りに源吉兆庵で和菓子を買って帰った。天候不順の年だが、そろそろ夏らしい。