スコラ 音楽の学校

社員旅行の往き還りに乗ったANAの機内誌で、坂本隆一がNHKでやってる「スコラ 音楽の学校」が、CDつきのブックレットになって機内販売されていた。
各巻9000円はなかなかいいお値段だと思う。安すぎると‘番組を録画しただけか’と見くびられるし、高すぎると‘テレビで見るからいいです’となってしまう。その間隙をついた絶妙な価格設定に拍手したくなった。
http://www.ana.co.jp/dom/inflight/shopping/anaskyshop/201005/top.html

でも、買わないけど。テレビで見るからいいです。貧乏人なんで。
あの「スコラ」という番組は面白くて、この土曜日はうっかり録画し忘れたが、うっかりしないかぎりは見るようにしている。
ドラムの回にゲストで来ていた高橋幸宏が、いちばん影響を受けたドラマーはリンゴ・スターだといっていた。
ビートルズのドラマーが、メジャーデビュー直前にピート・ベストからリンゴ・スターに交代した経緯は、いまだにどこかなぞめいているが、高橋幸宏の話を聞いているうちにこう思えてきた。つまり、リンゴ・スターのドラムが魅力的だったんだと。
「スコラ」の番外編というわけでもないだろうが、爆笑問題がやっている「爆問学問」という番組の総集編がやっていて、そのなかの坂本龍一の回をチラッと観た。
爆笑問題の二人が、自分の好きな曲を坂本龍一に聞かせるという企画があったのだけれど、お気に入りのサザンオールスターズ
「何なの?これ」
みたいな感じに言われて、太田光はそうとう傷ついたらしく、めずらしいことでもないけど、感情的になっていた。
私は、自分に音楽のテイストがないとずっと思っていて、それを確信したのは、坂本龍一吉本隆明が対談した「音楽器械論」を読んだときだ。
私が音楽だと思って聞いているのは、実は音楽ではなくて、広い意味での‘ウタ’にすぎないとそのとき思った。いいかえれば、私が今まで音楽と思っていたものの大部分は言葉にすぎなかった。
音楽が完全に非言語であることはとても重要だと思う。多くの言葉は、感情的であるくせに論理的なふりをするから、言語ではないメディアで世界とつながる経験は、偏りがちな人間の悟性にとってたぶん必要なんだろうと思う。
バッハからリンゴ・スターまでというと、ひどくかけ離れているように思えるが、それは言語の世界にとどまっているからであって、音楽の世界に踏み入ってみれば、また別の視野が開けるのは当然だろう。
孔子っていう人はどういうわけか音楽をとても重要視している。
そのことも、ヒトラーワーグナーを好んだと同じような意味でとらえることもできるのだろうけど、私はなんとなく、孔子には言語を超えたいという欲求がつねにあったと思いたい。
「巧言令色すくなし仁」とかいってるし、すくなくとも、口の上手い奴はきらいだったみたいだ。
それで、社員旅行のカラオケの話に戻るのだけれど、‘カラオケ’って、あれはたしかに音楽とはいえないのかもな。
今っていう時代は音楽が溢れているようで、じつは音楽が足りない時代なのかもしれないという気持ち悪さが胸をよぎった。