最小不幸社会

菅直人の言っている‘第三の道’は、私はウソだと思う。
田中角栄を第一の道、小泉純一郎を第二の道という風に総括したいわけなんだろうけれど、そんな歴史的な発展段階が存在するかのような、その発想がいかにも全共闘世代。
実際には、田中角栄も、小泉純一郎も、臨機応変に、目前の現実に対処しただけだと思うし、それ以上のことが政治に求められているとは私は思わない。
政治家がウソをつくのはむしろ当然のことだが、ウソのスケールが小さいのが気になる。
日経BPネットの大前研一コラムが興味深い。

‘「最小不幸社会」は敗北主義のスローガンだ’というタイトル。

 前述の世論調査で私が気になったのは、「経済的に豊かだが格差が大きい国」と「豊かさはさほどではないが格差の小さい国」のどちらがいいかを聞いたところ、「格差が小さい国」を挙げた人が73%もいたことである。

 政治の責任が大きいのは確かだが、私が見るに、日本国民にも問題がないとは言えない。

格差が広がっているというよりは、格差が縮小していると捉えるのが正しい。「国民が格差のない社会を求めている」というが、現実には日本はそういう方向に進んでいるのである。しかも低いところに収斂(しゅうれん)している、

格差社会‘ということについては、今までもさんざん取り上げてきたが、これはウソというより妄想だと思う。
ただ、なぜそんな妄想を大衆が共有したかといえば、結局のところ、日本人の多くは、競争社会に踏み出すのが怖かった、ということらしい。
以前、「みんな派遣村にはいれば、格差はなくなる」と書いたことがあるが、あれはもちろんアイロニーのつもりだったけれど、どうやら本気でそう考えている、あるいは、それと変わらないマインドの日本人が、「小泉竹中のせいで‘格差社会’になった」とわめいていたらしい。
菅直人のいう「第三の道」「最小不幸社会」「消費税増税」を並べてみると、
「もう構造改革とか政治主導とかあきらめてさ、官僚にお金配ってもらって生きようよ」
といっているように見える。
もちろん、これが誤解であることを願ってはいる。
菅直人自身がいっているように
「逆さに振っても鼻血も出ない」
まで、官僚の無駄遣いをなくした上で消費税をあげるなら希望も持てるが、無駄遣い構造はそのままで、税金が上がっていくだけなら、ざるに注ぐ水を増やすだけだろう。