エドゥアール・マネ

三菱一号館美術館て、そんなのあったっけ?と思ってたら、今年の春オープンだそうだ。
そういう新参者の美術館だし、マネもそう派手な存在でもないし、というわけで、のんびりでかけたらとんでもなかった。入場制限の行列に20分待たされた。
マネの全貌を視野に収めるというほど大規模ではなかったけれど、ベルト・モリゾの肖像画が多くて、これがまたいい女。
マネという画家は‘いい女'を絵にした最初の人なのかもしれない。
それまでは、女の裸を描くのに、ヴィーナスとかプシュケーとか、そういうしゃらくさいいいわけをしていたわけだけれど、いい女をいい女として描いて何が悪いんだ?、っていうコペルニクス的転回がマネなわけである。
一方で、ベルト・モリゾみたいないい女を、育み始めたパリという街の成熟も無視できない。
「マネとモダン・パリ」という今回の展覧会は、そのへんに視点を定めて、マネの存在の大きさを分かりやすく展示していたと思う。
国芳とか春信とか英一蝶とかを観たあと、マネを見ると、マネにとってのジャポニズムって、つまり、江戸の町とともにあった浮世絵師たちなんだろうなと思った。
海の向こうで、‘雛人形がもろだしで痴話喧嘩してる絵’を描く国があるのに、こちらではヴィーナスだマリヤだってしゃっちょこばってちゃ、そりゃ‘うるせぇよ’ってことになりますわな。
マネがもたらしたそういう自由は、後の画家たちに決定的だったと思います。
今回は展示されていなかったけれど、オランピアとか、草上の昼食とか、そういう絵だったんだなと腑に落ちました。
19世紀のパリと江戸って、そういう意味で響きあってたんだなと思います。