オノレ・ドーミエ版画展―『カリカチュール』と初期の政治諷刺画―

上野の国立博物館とか、国立西洋美術館の常設展は充実ぶりがはんぱじゃない。
ので、先を急ぐときは逆に素通りしてしまうのだけれど、今回は常設展の中に、オノレ・ドーミエの小企画がやっていたので足を向けた。

ドーミエの怒りさえ感じさせる強烈な政治諷刺画は、むしろ今の日本にこそ似つかわしい。
ドーミエが洋ナシにトランスフォームさせたシャルル国王の顔を、私はもちろん実際には知らないので、ドーミエが誇張しているのか、うりふたつなのか、判断のしようがないのだけれど、ドーミエの戯画を見て歩いていると、今の日本の政治家の顔が思い浮かんでしかたがない。
進化論では、獲得形質は遺伝しないはずだが、何代にもわたって下卑たことばかりしていると、次第に顔が下卑てきたとしても不思議でもない気がする。
ちなみに、二世政治家の名前に「太郎」とか「一郎」とかの名前が多いのは、投票用紙に書き間違いが少ないようにという配慮だそうだ。
親が、生まれたばかりのわが子に託す願いが、すでに選挙目当てとは。顔も下卑てこようというものである。
つい、常設展にさまよいこんでしまったので、案の定、長居してしまった。
ピエール・ボナールの「働く人々」という絵がよかった。
ボナールの絵っていつも、‘いい絵だな’っていうのと、‘やりすぎだろ’っていうののぎりぎりのラインにいるような気がする。余白とか余韻とかは頭になかったと思う。
彫刻では、マイヨールの「夜」がよかった。
それから、これはまったくの余談だけれど、ブリューゲルの版画展で笑ってしまった「聖アントニウスの誘惑」が、他の画家で二点あった。アンリ・ファンタン=ラトゥールの方は、まだ‘誘惑’って感じだけど、ダフィット・テニールスの絵には、また笑ってしまった。
空を飛んでるちっちゃい化け物二匹は、どうみても‘キモカワイイ’としかいいようがない。
何なんだろうなぁ、キリスト教徒。